柔道男子66kg級の世界王者を2度獲得した実力者であった丸山城志郎さん。
幼い頃から抱いたオリンピック出場の夢が叶わず、2025年2月17日に現役引退を発表しました。
その背景にはどのような理由があったのでしょうか?
そこで今回は
1・丸山城志郎の引退理由3選と現在
2・丸山城志郎の父との絶縁や結婚
3・丸山城志郎と阿部一二三との関係
について調べてみたいと思います。
丸山城志郎の引退理由3選と現在
ここからは、丸山城志郎さんの引退理由3つと現在について調べてみました。
理由1・代表決定戦での敗北後の燃え尽き
丸山城志郎さんが引退を初めて意識したのは、東京オリンピックの代表選考で阿部一二三さんに敗れたときです。
この敗戦が「あと一歩で夢に届かなかった」という思いとともに強い挫折感となり、その後ももう一度頑張ろうとしたものの、心の中に情熱や燃えるものが湧き上がらず「何度同じ気持ちで戦い続けられるのか」と自分に問いかけていたと語っています。
理由2・戦う意欲の喪失
2024年のグランドスラム・パリ大会の試合中、以前なら勝負に集中して必死だったのに「観客席や審判、コーチボックスのコーチまで全体が見えてしまう」という珍しい感覚を覚え、「絶対にこいつには負けたくない」という強い情熱が消えている自分に気づいたそうです。
こうした強い執念がなくなったことで、「勝負師としてはもう終わりだ」と引退を意識したと話しています。
そして決勝、悪い意味で視界が広かったんです。観客席や審判、コーチボックスのコーチ、そういうものが全て見えてしまっていた。これは良くない。集中し過ぎて前しか見えないくらいが絶対に強い。おかしいな、と色々なことを悟りました。こういう気持ちで試合をしているようであれば勝負師として終わりだな、と、引退を考え始めました。
引用:e-judo
理由3・モチベーション・目標の喪失
「これからあと何回も減量や稽古を続けて、またオリンピックを目指すことができるのか」と自己に問い続ける中で、日々の稽古にも目標や意欲が持てなくなりました。
練習の最中でも「何を目指しているのかわからない状態」になり、「引退」という言葉が次第に現実味を帯びて大きくなっていったと振り返っています。
最終的に、妻にも相談し、本人も納得して現役生活を終える決断に至ったとされています。
真剣に考え始めたのが、2024年のグランドスラムパリ大会。決勝で日本選手と戦っているときに、「あと4年間、この気持ちでやっていけるのかな」という気持ちになったときです。
試合に向けて心も体も最高の状態に仕上げて挑んでいたつもりだったんですが、どうしても燃えるものがない。現地入りしてからも、何かやる気が沸き上がってこない。
1回戦に勝って控室に戻って、次の試合に行くときに「これをロス五輪まであと何回やるんだろう、何度減量するんだろう」と冷静に考えてしまっていた。こんな気持ちは初めてでした。
引用:e-judo
これらの理由が重なり「一切後悔はなく、達成感が大きい」と語り、丸山城志郎さんは現役生活に区切りを付けました。
丸山城志郎の現在や今後は
現在の活動
丸山城志郎さんは現在、ミキハウスで国内外の子どもたちや若い世代に柔道を教える活動をスタートしています。
また、長浜市など各地で柔道教室の特別講師も務めており、持ち味の内股や投げ技を実演しファンや後進たちに指導をおこなっています。
出身地・宮崎市からは栄誉賞を受け取るなど、ジュニア育成や地元スポーツ振興にも携わっています。
今後の展望
「この選手を五輪に出して優勝させたい。そういう思いをさせてくれるような選手を育てていきたい」と語っており、未来の五輪メダリスト輩出を目標に指導者の道へ本格的に進み始めています。
また、今後も国内の講習会やセミナー、SNS投稿を通じて柔道の魅力を伝える活動も活発に続ける予定です。
引退後もその経験と情熱を次世代へ還元し「新しい柔道人生」を歩み始めています。
丸山城志郎の父との絶縁や結婚
ここからは、厳格な指導で有名な父・丸山顕志さんの指導スタイルや父との絶縁に至るまでや、結婚した妻についてを深堀りしてみたいと思います。
父・丸山顕志の指導方法
丸山城志郎さんの父・丸山顕志さんの指導は、徹底したスパルタ教育と精神面の鍛錬を重視した独自の方針で知られています。
彼は自身の引退後、「泰山学舎」という道場を設立し、息子である丸山城志郎さんや兄・剛毅さんだけでなく多くの子どもたちを指導しました。
その練習は毎日4時間にも及び、技術の習得だけでなく負けない強い心を築くことを狙っていました。
さらに驚くべきことに、幼少期から自宅の階段を何度もダッシュさせるなど、体力・足腰作りには特にこだわりを見せています。
福岡時代には高層マンション27階の非常階段を何度も往復させるなど、苦しいトレーニングも日常でした。
心の指導も厳格
丸山顕志さんの「心の指導」は、精神面の強化に徹底的にこだわった、並外れて厳しい内容でした。
彼は単なる技術や身体能力の向上だけを目指すのではなく、畳の上で真に戦える「心」を持つことが一流の柔道家に不可欠だと考えていました。
丸山城志郎さんが勝負どころで闘争心や覚悟を見せられず淡泊な戦いをした時には、「お前には心がない」として名前から「志」を外し「城士郎」に改名させ、日々の表彰や書類にも使わせたのです。
この心の厳しさを象徴するエピソードは、大学1年時に全日本ジュニアで優勝するまで続きました。
父との絶縁
2016年4月に行われた全日本選抜体重別選手権の決勝戦で、丸山城志郎さんは当時若手の新星だった阿部一二三さんと対戦しました。
この試合は終盤にかけて激しい攻防が続きましたが、最終的に阿部一二三さんが「指導3つによる反則勝ち」という形で勝利を収めました。
柔道における「指導」とは試合中に選手が犯した軽い違反に対して与えられるペナルティであり、消極的な態度やルール違反を防止するために設けられています。
この時、父・顕志さんは丸山城志郎さんに対し「名前を四五六(しごろく)に改名しろ」と言い放ちました。
これは、「城志郎」という名前に込められた『志(こころざし)』がない、つまり勝負師としての覚悟や心が弱いという強い叱責の意味を持っています。
さらに断絶を宣言し、3年も続いたそうです。
2016年の選抜体重別で新星・阿部にやはり「指導」の差で敗れるや、「名前を四五六に改名しろ」と言い放つ。さらに勘当を告げ、それは3年間も続いた。
引用:NEWSポストセブン
自身が果たせなかった五輪金メダルの夢を息子に託すあまり、時代錯誤な指導を繰り返し親子の断絶を生んでしまったようです。
丸山城志郎の奥さんは?
丸山城志郎さんの妻は「くるみ」さんという名前で、元モデルでありYouTuberとしても活動している方です。
くるみさんは福岡県出身で、1995年12月2日生まれの年齢は丸山より2歳年下です。
2人は2018年10月に結婚しましたが、丸山城志郎さんが父・丸山顕志さんと約3年半の絶縁状態だったため、丸山顕志さんは結婚式の結納にも姿を見せませんでした。
くるみさんはアスリートフードマイスターの資格も持っており、丸山城志郎の競技生活を食事面からも支えています。
お二人の間には子供が2人いることが確認されており、Instagramなどの投稿でも家族の写真が増えている様子が見られます。
丸山城志郎さんは妻くるみさんの支えを大切にしており、結婚後は心の安定が競技成績にも好影響を与えたようです。
丸山城志郎と阿部一二三との関係
ここからは、宿命のライバルと言われた阿部一二三さんとの関係を詳しく探ってみたいと思います。
宿命のライバルとしての激闘
丸山城志郎さんと阿部一二三さんが知り合ったのは、高校柔道の試合がきっかけとされています。
二人は男子66キロ級で繰り返し対戦し、日本柔道界の歴史に残る激しいライバル関係を築きました。
特に2020年12月13日に行われた東京五輪代表決定戦では24分にも及ぶ長時間の死闘を繰り広げ、阿部一二三さんが終盤の大内刈りで勝利を収めました。
この代表決定戦は柔道史上初のワンマッチ方式による決着として伝説的な試合となりました。
その後も両者はパリ五輪に向けて数多くの直接対決を重ね、厳しい競争を続けました。
丸山城志郎から見た阿部一二三
丸山城志郎さんは「阿部一二三がいたからここまで強くなれた」と語り、彼の存在が自身の成長と努力の最大の原動力だったと認めています。
敗戦後も「悔しい気持ちはもちろんあるが、あの壁があったから努力し続けられた」と話しています。
「正直、『何で同じ世代で生まれてきたんだろう』って、『彼がいなかったら』って思っていました。
でも、彼がいなければ、ここまで自分は強くなっていなかった。本当に感謝しています」
引用:読売新聞
阿部一二三から見た丸山城志郎
阿部一二三さんも「城志郎先輩がいなければここまで来られなかった」と感謝を述べており、試合や練習だけでなく私生活の中でも常に丸山城志郎さんの存在を意識していたと本音を明かしています。
「(決定戦前の)1か月以上、何をしていても城志郎先輩のことを考えていました。トイレにいても、お風呂に入っていても、食事中も……。地獄でしたね。お互いに人生をかけてやっていましたから。会っても目を合わせず、あいさつもしませんでした」
「城志郎先輩と 切磋琢磨 し、あの代表決定戦があって、自分に今の気持ちの強さ、メンタルの強さがあると思う。感謝しています。やっと普通に接することができて、普通にしゃべれる。それがうれしいです」
引用:読売新聞
精神面・技術面で互いに切磋琢磨しあう最高のライバル関係でした。
まとめ
オリンピックの夢は叶わなかったものの、最後まで全力を尽くし人々に感動を与えてくれた丸山城志郎さん。
負けた自分にしかできないことを模索していくと語っています。
丸山城志郎さんのこれまでの挑戦と努力に敬意を表し、新しい道でのさらなる飛躍を願っています。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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