2002年から2005年まで活動していた男女3人音楽ユニットのday after tomorrow。
メジャーデビューの年に『日本レコード大賞新人賞』や『日本ゴールドディスク大賞ニュー・アーティスト・オブ・ザ・イヤー』を受賞するなど、当時は「大型新人」として大きな話題を集めました。
しかし2005年5月、ベストアルバムのリリースを最後に活動を休止することが発表され、事実上の解散状態となっています。
その背景にはどのような理由があったのでしょうか?
そこで今回は、
1・デイアフタートゥモローの解散理由3選とメンバーの現在
2・デイアフタートゥモローの北野正人と神田沙也加に何があったのか
3・デイアフタートゥモローのデビュー曲や代表曲
について調べてみたいと思います。
デイアフタートゥモローの解散理由3選とメンバーの現在
ここからは、活動休止(事実上の解散)に至った理由3つとメンバーそれぞれの現在についてお伝えしていきます。
理由1・売上・人気の低下
day after tomorrowは、デビュー当初はavexの大型新人として大々的にプッシュされ、初期のアルバム『day after tomorrow II』やヒット曲は10万枚以上売れていました。
しかし後期は約2万枚など明らかな減少があり、同じレーベルや同世代アーティストとの比較でも数字の差が生まれていました。
ヒット曲も生まれましたが、活動後期には売上や人気が徐々に低下していき、活動休止に至ったと考えられます。
理由2・メンバー間の方向性の違い
day after tomorrow結成初期は、avexのトッププロデューサー陣の指導のもとで一体的に活動していました。
しかし、活動が進むにつれてメンバーそれぞれの音楽的志向やキャリア観にズレが生じていきました。
“3人で出来る全てのことを出し尽くしたと感じ、さらなる上を目指すべく自分たちの音楽を追究していこう”と出した前向きな結論だという。
引用:BARKS
メンバーそれぞれの目指す方向性の違いが表面化し、活動休止に至ったと考えられます。
理由3・メンバーのプライベート問題・スキャンダル
ギタリスト北野正人さんと松田聖子さんの娘・神田沙也加さんとの交際が話題となり、レーベルや事務所との関係にも複雑な影響を及ぼしたことが解散理由の一つとされています。
様々な事情が絡み合い、グループ存続が困難になったと見られています。
これらの要素が重なり、公式には「活動休止」とされていますが、事実上の解散状態となりました。
misonoやメンバーそれぞれの現在
misono
misonoさんは、2002年にday after tomorrowのボーカルとしてデビュー後、ソロ歌手としても活動を続けてきました。
2011年頃には一時的に活動を休止し、別名義で活動する時期もありました。
2014年には自身のアルバム『家-ウチ-』が1万枚売れなければCD発売をやめると宣言し、売上が目標に届かなかったため、以降CDリリースはしていません。
2018年には夫とともに個人事務所を設立し、エイベックスとの専属契約は終了しました。
その後は歌手活動に加えてミュージカル出演やプロデュース、美容サロンや飲食店の経営など多方面に活動の幅を広げましたが、現在は閉店しているようです。
また社会的な発信活動も積極的で、発達障害の子ども支援やダウン症の娘を持つ経営者としての視点からの社会貢献も行っており、ラジオ出演などで自身の活動の思いを語っています。
北野正人
北野正人さんは、day after tomorrowの活動休止後も音楽活動を続け、現在はLUV K RAFTという3人組の音楽ユニットでギターと音楽制作を担当しています。
LUV K RAFTはポップロックを基調としたマルチクリエイターユニットで、作詞・作曲・アレンジ・映像制作までメンバー全員が担い、SNSでの動画再生回数は1億回を超えるなど高い人気を誇っています。
また、音楽以外にもPADI(国際ダイビング指導団体)のオープン・ウォーター・スクーバ・インストラクター資格を取得し、動画シリーズ「Be a Diver ~好きがつなぐ青の世界~」を通じて、ダイビングの魅力や海洋環境保護の啓発活動も精力的に行っています。
北野正人さんの多才な活動は、音楽活動と海洋保護の両輪で展開されており、奈良県葛城市・橿原市の観光大使も務めるなど地域貢献にも注力しています。
2025年もLUV K RAFTとして新曲リリースやワンマンライブを予定し、音楽面でも活動を活発に続けています。
鈴木大輔
鈴木大輔さんは、day after tomorrowのキーボーディスト兼メインコンポーザーとして知られ、2002年のデビュー以来、多くのヒット曲の作曲や編曲を担当してきました。
2005年のグループ活動休止以降は、作曲・編曲活動に専念し、国内外で幅広く楽曲提供を続けています。
鈴木大輔さんの制作活動は多岐にわたり、倖田來未、東方神起、TRF、Every Little Thing、AAAなど多数のアーティストへ楽曲提供を行い、特に東方神起に提供した楽曲は日本だけでなく韓国でもリリースされるなど国際的にも評価されています。
また、EDMやデジタルサウンドを活かした実験的な作品制作にも取り組み、ゲーム音楽や映画音楽にも進出しています。
さらに、2008年からはavex全面プロデュースのユニットgirl next doorのキーボーディスト兼メインコンポーザーとしても活動し、新人賞を獲得するなど成功を収めましたが、2013年に解散しました。
近年では新しいスタジオ環境の構築や音響設計にも携わり、音楽制作のクオリティ向上に努めています。
デイアフタートゥモローの北野正人と神田沙也加に何があったのか
ここからは、day after tomorrowのメンバーであった北野正人さんと神田沙也加さんの間に起ったことについて深堀りしてみたいと思います。
音楽活動を通じた出会いと交際
北野正人さんはday after tomorrowのギタリスト、神田沙也加さんは幼少期から芸能活動を開始し、歌手「SAYAKA」として活動していた頃に音楽業界で知り合いました。
北野正人さんはバツイチで30歳、神田沙也加さんがまだ18歳の時期に親密な関係となり、共に音楽を作りながら交際へと発展しました。
馴れ初めは楽曲の共作
そんな北野正人さんと神田沙也加さんの出会いは、2004年にリリースした神田沙也加さんの3枚目のシングル『水色』のプロデュースを北野正人さんが手がけたことがきっかけで交際に発展したと言われています。
引用:Arty
松田聖子との親子間確執を招いた交際
神田沙也加さんの交際に対し、母親である松田聖子さんは北野正人さんとの年齢差や離婚歴などを理由に強く反対しました。
反発した神田沙也加さんは家を飛び出し、事実上の活動休止状態に。
神田沙也加さんは松田聖子さん側から収入を停止され「兵糧攻め」の状態となり、生活の困窮が原因で北野正人さんと別れる決断をしたと伝えられています。
「高校を出たばかりで稼ぎの少ない沙也加には最もつらい事件でした。“兵糧攻め”にあって生活に困窮した沙也加は結局、白旗を揚げてギタリストと別れた。聖子にわびを入れて母のもとに戻ることになったんです」
引用:Arty
それぞれのその後
神田沙也加さんはその後、ミュージカルや声優としての活動に軸足を置くようになり、芸能界で独自の道を築いていきました。
北野正人さんは、この交際がday after tomorrowの活動停止の引き金になったとも言われましたが、現在は別の形で音楽活動を続けています。
このように、神田沙也加さんが未成年であった時期に始まった二人の交際は、家族関係や芸能活動に複雑な影響をもたらし、その後の両者の人生と活動に深く関わる重要な出来事でした。
デイアフタートゥモローのデビュー曲や代表曲
ここからは、day after tomorrowのデビュー曲や代表曲についてくわしくお伝えしていきます。
デイアフタートゥモローのデビュー曲
day after tomorrowは2002年8月7日に1stミニアルバム『day after tomorrow』でメジャーデビューしました。
このミニアルバムはavex traxから発売され、映像作品『faraway』と同時リリースされました。
ミニアルバムの全6曲すべてにタイアップが付くという大規模なプロモーションで、オリコンチャートでは初登場10位を獲得、メジャーデビュー作にしてトップ10入りを果たす成功を収めました。
中でも、デビュー曲としてリリースされた「faraway」は8月22日にシングルカットされ、DVDシングルとしても発売されました。
この曲は北野正人さんが作曲、misonoさんが作詞し、五十嵐充さんが編曲を手がけました。
「faraway」は爽やかなメロディーとポップなサウンドが特徴で、ユース層を中心に支持を集めました。
ミュージックビデオとメイキング映像も同時に収録され、話題を呼びました。
デビューにあたっては、メンバーのmisonoさん、北野正人さん、鈴木大輔さんがそれぞれの楽曲制作に深く関わり、特にプロデューサーの五十嵐充さんが全面的にアレンジを担当するなど、スタッフと一体となった力の入った作品作りがなされました。
このデビュー作によってday after tomorrowは瞬く間に注目を浴び、2002年の新人賞多数受賞など華々しいスタートを切りました。
デイアフタートゥモローの代表曲
day after tomorrowの代表曲の中で最も知られているのが「Starry Heavens」です。
この曲は2003年にリリースされた6枚目のシングルで、テレビゲーム『テイルズ オブ シンフォニア』のイメージソングおよびテーマソングとして起用され、特に若年層を中心に高い人気を集めました。
「Starry Heavens」は、misonoさんの力強いボーカルと北野正人さんのギター、鈴木大輔さんのキーボードが織りなす繊細かつ骨太なサウンドが特徴で、day after tomorrowの音楽性を最も象徴する曲とされています。
また、「More than million miles」は同名の映画『デイ・アフター・トゥモロー』の日本語吹き替え版エンディングテーマに起用され、壮大なバイオリンの伴奏が印象的なバラード曲です。
大きなタイアップに支えられ、バラードながら強いインパクトを残しました。
「My faith」も代表的なバラード曲で、中山美穂さん主演のドラマ『ホーム&アウェイ』のエンディング曲として使われました。
歌詞は女性の永遠の愛の告白をテーマにしており、misonoさんの繊細な表現力が光っています。
さらに「Stay in my heart」は限定1万枚でリリースされ、本人たちのシングルの中でも特別な位置を占める曲です。
歌詞の一人称が「僕」になっていることや、鈴木大輔さんのキーボードと北野正人さんのギター演奏が特徴的で、ファンの間でお宝的な楽曲とされています。
これらの曲はすべてday after tomorrowの多面的な魅力を示し、音楽業界内外で高い評価を受け続けています。
特に「Starry Heavens」は彼らの代表作として、今なお根強い人気を誇っています。
復活の可能性は?
misonoさんは、day after tomorrowの復活の可能性はないと語っています。
day after tomorrowは2005年に唐突に活動休止を発表し、以後事実上の解散状態となっていますが、正式には活動休止のままです。
2020年代に入ってからも、元メンバーによる新曲制作やミニベストアルバムのリリースなどがあり、一定の再始動需要に応える動きが見られました。
例えば2009年には『Tales with misono-BEST-』、2013年には『symphony with misono BEST』といったミニベストアルバムがリリースされ、day after tomorrow時代の代表曲を振り返る形で注目が集まりました。
2013年にはmisonoさんが「Starry Heavens」のソロリメイクバージョンを発表するなど、復活の兆しも見られました。
しかし2015年の時点でmisonoさんは、day after tomorrowの復活の可能性はないと語っています。
当時人気を博していたday after tomorrowの再稼働を求める声も聞かれている。そうした声にmisonoはこの日更新したブログで以下の通りに綴り、再開は「ない」と断言した。
「松浦社長も“755”で言ってましたが、自分の中でも『ない』です(笑)恵まれた環境の中で、沢山、勉強をさせていただき、吸収も出来たし、学べたから、幸せ者だし、確かに、やり直したい物や、こうすればよかったなって事は、ある…けど、『あの頃に戻りたい』とも思わないし「もう1回、今からやりたい」とは、ならない!」
引用:ライブドアニュース
実現の可能性は低いものの、メンバーのソロ活動や関連企画で断続的にその名は語られています。
今後の動向に注目したいですね。
まとめ
day after tomorrowの活動休止は様々な要因が重なった結果であり、今なお多くのファンに惜しまれています。
復活の可能性は高くはないものの、メンバーそれぞれが歩む新たな道の先に、再び輝く瞬間が訪れることを願ってやみません。
今後も彼らの動向に目が離せません。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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