1990年代初頭の日本ポップス・ロックシーンを象徴する女性4人組ロックバンド、ピンクサファイア(PINK SAPPHIRE)。
プリンセスプリンセスに続く「本格派ガールズロックバンド」として注目されていましたが、1995年に活動を停止し、実質的な解散となりました。
その背景にはどのような理由があったのでしょうか?
そこで今回は、
1・ピンクサファイアの解散理由2選
2・ピンクサファイアメンバーそれぞれの現在
3・ピンクサファイアの再結成のいきさつ
について調べてみたいと思います。
ピンクサファイアの解散理由2選
ここからは、ピンクサファイアが事実上の解散に至った理由2つについてお伝えしていきます。
理由1・ボーカル・AYAの結婚と脱退
1994年、バンドの中心であるボーカルのAYA(塚田彩湖)さんが結婚を機に脱退しました。
AYAさんの脱退はバンドにとって致命的なダメージとなり、メンバー間の関係にも影響しました。
AYAさんは脱退に際し、「自分の勝手で辞めたと思われているのでは」と感じ、メンバーに合わせる顔がないという思いを抱えていました。
そのため、脱退に際して祝福ムードは薄く、グループ内に微妙な溝や距離感が生まれてしまいました。
このことが、引退につながる一因になったと考えられます。
理由2・活動停滞と支援体制の不足
AYAさんが1994年に結婚を機に脱退した後、バンドは新しいボーカル(MAYUなど)を迎えて活動を続けました。
しかし、AYAさんがバンドの「顔」とも言える存在だったため、代替のボーカルを加えてもファンの支持や勢いを取り戻すことはできませんでした。
音楽業界の環境も激変し、バンド自体の活動が徐々に停滞していきます。
デビュー時にはAYAさんのキャラクターや歌唱力を軸にプロモーションが強化されていたものの、AYAさん脱退後は事務所側のサポートが弱まり、レコード会社からの投資や宣伝が減少しました。
これにより新体制での活動は経済的・心理的に厳しくなり、積極的な活動展開は難しくなりました。
ピンクサファイアメンバーそれぞれの現在
ここからは、ピンクサファイアのメンバーが解散後どのようにしていたか、現在はどうしているのかについてお伝えしていきたいと思います。
AYA(塚田彩湖)の現在
AYAさんは1994年に結婚を機に脱退し、約20年間メンバーと会わず、家族優先の生活を送りました。
大阪在住でマイペースに音楽活動を続け、2014年の再結成に参加しました。
家族と共に過ごしながら芸能活動を続け、2023年まで活動。ラストライブを行い、現在は活動停止状態ですが音楽に向き合う生活を続けています
TAKA(鈴木孝子)の現在
ギタリストTAKAさんは解散後もサポートミュージシャンとして活躍し、バンドメンバーの再結集の中心人物でもありました。
2011年に乳がんと診断され、闘病生活を送っていましたが、2023年に亡くなりました。
闘病を経ての再結成は、彼女とメンバーの絆が背景にありました。
MIKI(石田美紀)の現在
ベーシストMIKIさんは解散後、女性3人組ユニット「LIKE UNCOLORED VELVET」を結成し活動しましたが、その後の動向はあまり知られていません。
現在の活動状況については公開されていないものの、音楽界とのつながりは続いていると考えられます。
HARUMI(菊野晴泉)の現在
ドラマーHARUMIさんについては解散後の具体的な活動情報が少なく、一般にはあまり知られていません。
音楽活動を続けているかどうかは不明ですが、ラストライブまでは参加していました。
ピンクサファイアの再結成のいきさつ
ピンクサファイアは2014年、約20年ぶりに再結成を果たしました。
ここからは、再結成に至ったいきさつについてをくわしくまとめてみました。
TAKAの乳がん診断がきっかけに
ピンクサファイアが2014年に再結成を果たした大きなきっかけは、ギタリストのTAKA(鈴木孝子)さんが2011年に乳がんと診断されたことでした。
TAKAさんの闘病生活を知ったメンバーたちは、限られた時間の中で再び友情や音楽の輝きを共有したいという強い思いを抱きます。
2012年の春、私のところにあるファンの人から連絡が入ります。
「TAKAさんが大病と闘っている」と…
TAKAは自分のお料理ブログに闘病記も綴っていると知り、見に行ってみるとステージⅢ B期の進行乳がんという大きな病気と闘い、すでに右乳房とリンパの全摘出という大手術も終えたところだと知りました
いてもたってもいられなくなった私はメンバー全員と連絡を取り、メンバーに会いに上京しました
引用:ピンクサファイアはオフィシャルブログ
20年以上の時を経ての再会と交流
2012年に約20年ぶりにメンバー4人が東京で再会しました。
当初は昔話が中心でしたが、その後も連絡を取り合ううちに絆が深まり、2013年にはTAKAさんのライブにAYAさんも参加。
全員が顔を合わせる機会が増える中で「もう一度ピンクサファイアとして音楽をやろう」という声が自然と高まっていきました。
でも、この時に「今度会うときには音を合わせられると良いね」という会話はあったものの、それが実現するとは思ってもいませんでした。
それから半年後の去年4月、Takaが「林利樹と愉快な仲間たち」というライブに出ると聞いたので「見に行くよ!」と私がメールしたら「来るなら歌ってよ!」となり…
私とTakaだけでしたが、あの「音を合わせようね」が、少しだけ実現したのでした。
引用:ピンクサファイアオフィシャルブログ
TAKAの旦那の願いとメンバーの決断
弁護士として知られるTAKAさんの夫の、「一度だけでもバンド活動を見られれば」という願いもあり、メンバーは再結成を決断します。
AYAさんはしばらく音楽活動から離れていたものの、この願いを受けて少しずつ歌の練習を再開し、他のメンバーも音楽活動から離れていた期間が長かったため不安もありました。
しかし、絆を再確認し、TAKAさんや仲間、そして周囲の支えも得て再結成ライブに向けて準備を進めました。
ドラムのHARUMIさんは体力面の理由で出演を断念しましたが、他のメンバーは演奏に復帰し、2014年4月26日に20年ぶりに再結成ライブを果たしました。
Takaの旦那様が私達に「一度で良いのでPink Sapphireとして、ライブでTakaと演奏して欲しい」と…
私は最近になって少し歌を再開していましたが、MikiもHarumiも演奏からは離れていて…できるのか?という不安もありましたが、大きな病気と闘い、まだこの先のことに不安も抱えているTakaのために!きっとこんな大きなワクワクと目標があれば免疫力も上がる!という気持ちで引き受けました。
世の中は再結成ブームみたいな流れもありますが、私たちのライブはまったく趣旨が違うのです。Mikiも再結成は全く考えていなかったようですが、旦那様の言葉に首を縦に振りました。
引用:ピンクサファイアオフィシャルブログ
HarumiもTakaのことはもちろんとても気にしてくれているのですが、歌やギターなどと違ってドラムは体力的にもしんどいし、練習も自宅で出来るというものではないので、ステージには上がらないことになりました。
TAKAさんを支えたいという思いや家族の願いがあって、メンバー間の強い絆を再確認し、バンドの再結成に至りました。
まとめ
ボーカルAYAさんの脱退によってバンドの音楽的な方向性や勢いが失われ、1995年に事実上の解散に至ったピンクサファイア。
しかし、その後20年以上の時を経て、ギタリストTAKAさんの乳がん発覚という大きな試練が、メンバー同士の絆を再び呼び起こし、2014年に再結成ライブが実現しました。
ピンクサファイアは解散と再結成を通じて、仲間や音楽への愛情の深さを改めて証明しました。
彼女たちの音楽は今も多くのファンに愛され続けており、バンドが残した輝きは色褪せることなく輝きつづけるでしょう。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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