1970年代から1990年代にかけて、ドラマ「時間ですよ」でお涼さんを演じ、控えめながらも確かな演技力で多くの視聴者に深い印象を与えた女優・篠ひろ子さん。
その後も「金曜日の妻たちへ」や「誘惑」など様々な作品に出演していました。
しかし1997年、芸能活動を休止しメディアから姿を消し、その後実質的に引退状態となりました。
その背景にはどのような理由があったのでしょうか?
そこで今回は、
1・篠ひろ子の引退理由3選と現在
2・篠ひろ子の旦那や息子
3・篠ひろ子のプロフィールや若い頃
についてお伝えしていきたいと思います。
篠ひろ子の引退理由3選と現在
篠ひろ子さんから明確な引退宣言はなかったものの、実質引退状態になっている理由3つと現在についてお伝えしていきます。
理由1・結婚と郷里移住による生活の変化
1992年に小説家の伊集院静さんと結婚した篠ひろ子さんは、結婚後数年を経て1997年にドラマ主演を最後に芸能活動を休止しました。
その大きな理由の一つが、夫と共に東京都から自身の郷里である宮城県仙台市に移住したことです。
この移住により、都会での女優活動から離れ、仙台で穏やかで静かな生活を優先するようになりました。
理由2・演技への自信のなさと恐怖感
篠ひろ子さんは女優として多くのドラマに出演し、独特の「耐える女性」や「強さの中に優しさを秘めた女性」を演じる役柄で高く評価されました。
しかし、実は篠ひろ子さん自身は演技に対してずっと自信が持てず、恐怖感を抱いていました。
特にキャリア初期には、演技のことでスタッフや共演者に笑われることもあり、そのことで心理的な負担が大きくなりました。
この演技への恐怖心や自信のなさは、女優業を続けるうえで大きな苦悩となり、次第に活動を休止する決断に繋がっていったと見られます。
撮影中にすごく笑われたことを覚えています。演技の基礎など何も出来てないわけですから、おかしな演技をしたんでしょうね。笑われて当然と思いましたよ。そのことだけはすごく記憶しています。
演技はその場で恥をかきながら覚えていきました。~中略~
ずっと自信がなかったです、私。いつも怖がっていました。ドラマに入る前は不安で落ち着かなくなるんです。入ってしまえば流れでいける。いつも自分に「大丈夫だから」って言い聞かせていました。同時に「こんなことできる器じゃないのにな」という思いもあって。本読みが始まれば、必ず最後には終わる。その度に「終わったじゃない、できたじゃない」って自分に言う。その繰り返しでした。
引用:文春オンライン
理由3・精神的な解放と自己変化
篠ひろ子さんは、伊集院静さんとの結婚によって、「誰かに見てもらうための人生から、自分のための人生へと変わった」と語っています。
結婚後には「片意地を張っていたのがスッと抜けた」「もう自分を演じようとしなくていい」という安心感を得て、精神的に非常に楽になったと述べていました。
この結婚が、芸能の世界で「完璧な人物像」を求められ続けた篠ひろ子さんにとって、まさに心の自由を取り戻すきっかけでした。
女優業というプレッシャーから離れて、自分らしく生きたいと思ったことが引退理由の一つと言えるでしょう。
結婚して、変わったんです。みんなに見てもらおうとかそういう気持ちにならなくなった。自分で演じながら自分でない人が演じているような、魂がそこにないような。自分でも意外でした。
なんだろう。卒業かな。次の段階に入る感覚。これからは伊集院を支えるっていうふうに、すっと切り替わってしまったんですね。
引用:文春オンライン
篠ひろ子の現在の顔や年齢
篠ひろ子さんは2025年現在、77歳です。
篠ひろ子さんは現在、芸能活動をほぼ休止し、故郷である宮城県仙台市に在住しています。
1992年に作家の伊集院静さんと結婚してからは、夫を支える生活に専念し、華やかな芸能界からは距離を置いています。
夫の伊集院静さんが2023年11月に肝内胆管がんで亡くなった後も、篠ひろ子さんは仙台で静かに暮らしています。
最近では、2024年末に24年ぶりにメディアに登場し、夫の壮絶な最期や結婚生活について初めて詳しく語りました。
最新画像はこちら。
こちらの写真は2006年3月2日に亡くなった演出家の久世光彦さんの葬儀の際のもので、これ以降の画像は見つかりませんでした。
公の場に出ることは非常に稀で、非常に控えめな生活を送っていることがうかがえます。
篠ひろ子の旦那や息子
ここからは、篠ひろ子さんの夫・伊集院静さんについてや息子がいるのかについて詳しくお伝えしていきます。
篠ひろ子の旦那・伊集院静とは?
伊集院静(いじゅういん しずか)さんは1950年2月9日生まれ、山口県防府市出身の作家・作詞家です。
立教大学文学部を卒業後、広告代理店でCMディレクターなどを経験し、1981年に小説「皐月」で作家デビューしました。
代表作には『機関車先生』や『乳房』、『受け月』などがあり、1992年の『受け月』で第107回直木賞を受賞しています。
その他、柴田錬三郎賞や吉川英治文学新人賞、司馬遼太郎賞など文学賞を多数受賞している実力派作家です。
作詞家としてはペンネーム「伊達歩」で活動し、近藤真彦さんの「愚か者」や「ギンギラギンにさりげなく」などのヒット曲を手掛けました。
高校・大学時代は野球部に所属し、趣味は野球観戦、麻雀、競馬、ゴルフと多彩です。
性格は粋で繊細、精神的な強さと孤独を抱えつつも、人間味あふれる作品を多く残しました。
2023年11月24日に73歳で亡くなりました。
結婚歴は?
篠ひろ子さんにとっては伊集院静さんとの結婚が初婚でしたが、伊集院静さんは3度目の結婚でした。
1回目は広告代理店勤務時代に出会った一般女性との結婚で、1970年代に2人の娘をもうけましたが、離婚しました。
とくに離婚時は妻が妊娠中だったこともあり、複雑な状況でした。
娘の1人、西山繭子さんは女優として活動しています。
2回目は1984年に女優・夏目雅子さんと再婚しましたが、彼女は1985年に急性骨髄性白血病で亡くなりました。
2人は不倫関係を経ての結婚で、夏目雅子さんの母親は結婚に反対していました。
また、結婚までの間に夏目雅子さんは何度も妊娠・堕胎を繰り返したという衝撃的な事実もあります。
そして、1992年に3度目の結婚をしたのが篠ひろ子さんでした。
この結婚生活は31年間続き、その間、篠ひろ子さんは伊集院静さんの精神的な支柱として献身的に支え続けました。
篠ひろ子と伊集院静のなれそめは?
篠ひろ子さんと伊集院静さんの馴れ初めは、夏目雅子さんをしのぶ会で、夏目雅子さんのお兄さんの妻で元「キャンディーズ」の田中好子さんからの紹介によるものでした。
篠ひろ子さん自身は最初から結婚に燃えるような「好き」や「愛してる」といった感情を持っていなかったと語っていますが、一緒にいて安心でき、何があっても大丈夫そうな相手だと感じたことが結婚を決意した理由でした。
伊集院静さんは口数が少なく自分からあまり結婚の話をしない人でしたが、一緒にいる時間の中で互いに安心感を得ていったのです。
篠ひろ子さんは自分が押しかけるような形で婚姻届を持っていき、「ここに名前を書いて、ここにハンコを押して」と結婚を成立させたと話しています。
一緒にいて安心できるし、この人は何があっても大丈夫そうだから、結婚してもいいかって。あちらはそういうことを自分から言う人ではないんですよ、飲みには来るけど(笑)。
引用:文春オンライン
雅子ちゃんが「私、押しかけ女房なの」って言ってたのを覚えてますか? 私も押しかけ女房かもしれないと思う。
婚姻届を持っていき、「はい、ここに名前書いて、ここにハンコ」って。
子供や息子はいる?
篠ひろ子さんに子供はいません。
篠ひろ子さんは結婚したときの年齢が40歳を超えていたこともあり、子供をもうけることはなかったようです。
篠ひろ子さんと伊集院静さんとの間に子供はいませんが、伊集院静さんには前の結婚で生まれた2人の娘がいます。
篠ひろ子さん自身は子供の代わりに2匹のミニチュアダックスフンドの「アイス」と「ノボ」を飼い、息子のようにかわいがっていると伝えられています。
篠ひろ子のプロフィールや若い頃
ここからは、篠ひろ子さんのプロフィールや若い頃に出演したドラマなどについても深堀りしてみたいと思います。
篠ひろ子のプロフィール
本名:西山 博子(にしやま ひろこ)、旧姓:沼澤(ぬまさわ)
芸名:篠ひろ子(しの ひろこ)、かつては篠ヒロコ名義も使用
生年月日:1948年3月8日
出身地:宮城県仙台市
血液型:O型
身長:167cm
学歴:聖ウルスラ学院小学校・中学校・高等学校卒、東北学院大学法学部中退
篠ひろ子さんは大学2年生の時に、東北地方のゴルフ練習場でスカウトされたことが芸能界入りの直接的なきっかけとなりました。
当初は仙台のローカルテレビ番組『ホリデイ・イン・仙台』のアシスタントとして活動し、その番組内で歌唱を披露した際にレコード会社の目に留まりました。
これを契機に、1968年、20歳の時に大学を中退して上京し、クラウンレコードから「水色の風」で歌手デビューを果たしました。
篠ひろ子の若い頃やドラマ
篠ひろ子さんは歌手としてデビューしたものの大きなヒットにはならず、その後キングレコードに移籍しても成功は難しかったとされています。
歌手としての道が厳しい中、1973年にTBSドラマ『時間ですよ』の小料理屋の女将役で女優として脚光を浴び、女優業に転身しました。
以降、主に「耐える女性」や「強さと優しさを併せ持つ女性」を演じ、多くの視聴者に支持されるようになりました。
代表作はこちら
1972年:『股旅USA』 – 女優デビュー作
1973年:『時間ですよ』シリーズ(何度も続編あり) – 特に第1シリーズでお涼役として注目
1975年:『悪魔のようなあいつ』 – 山川静枝役
1983年~1985年:『金曜日の妻たちへ』シリーズ – 西村洋子、秋山彩子役
1985年~1986年:『毎度おさわがせします』 – 大沢朝子役
1990年:『誘惑』 – 藤家美冴役(主演)
1992年:『木曜日の食卓』 – 宮沢東子役
1994年:『半熟卵』 – 主演・大場町子役
1993年・1995年:『カミさんの悪口』-小泉由起子役
篠ひろ子さんは1970年代から1990年代にかけて、家族や大人の女性をテーマとした多彩なテレビドラマに出演し、その落ち着いた存在感と繊細な演技で視聴者に印象を残しました。
特に『時間ですよ』『金曜日の妻たちへ』シリーズは長く愛されている代表作です。
また、1980年代を中心にコメディからシリアス作品まで多彩な役柄をこなし、主演ドラマも複数ありました。
実家が裕福すぎる?
篠ひろ子さんの実家は宮城県仙台市にあり、裕福な家庭で育ちました。
父親は地元の電機会社で専務を務めており、5人兄弟の長女として生まれました。
幼少期からカトリック系の名門私立校である「聖ウルスラ学院」の小学校、中学校、高校を一貫して通い、厳格な教育環境の中で育ちました。
この学校は宗教的な価値観を重視する教育が特色であり、その教育が篠ひろ子さんの品のある立ち振る舞いや人間性の基盤にもなっています。
幼い頃にはNHK仙台少年少女合唱隊に所属し、そこで歌唱力を磨くなど音楽や芸術に触れる豊かな環境にありました。
この合唱隊はオーディション制で、入隊や活動にあたって実家の支援が必要だったとされています。
また、兄にはプロゴルファーの沼澤聖一さん、弟にはゴルフクラブ設計家の沼澤雄二さん、甥には元サッカー選手で現在は俳優の青山隼(あおやま じゅん)さんがおり、家族全体でスポーツや芸能に親しむ環境だったことも篠ひろ子さんの多彩な才能を育んだ要素だったんですね。
まとめ
篠ひろ子さんは結婚を機に女優業を休止しましたが、その真の理由には「演技に自信がなく、ずっと怖かった」という心の葛藤がありました。
結婚後は夫の伊集院静さんと共に故郷仙台で静かな生活を送り、夫を看取った後も穏やかな暮らしを送っています。
華やかな芸能界から離れた今も、その品格と魅力は色あせることなく、多くの人々に愛されています。
篠ひろ子さんの人生は“強さと優しさ”の象徴として今も輝き続けています。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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