1996年にデビューした3人組のダンス&ボーカル音楽ユニットdos(ディー・オー・エス)。
小室哲哉プロデュースにより、テレビ番組『ASAYAN』内のオーディションコーナー「コムロギャルソン」から誕生したR&B色の強いグループでした。
約1年の短い活動期間で、明確な解散宣言はないまま自然消滅しました。
その背景にはどのような理由があったのでしょうか?
そこで今回は、
1・dosの解散理由3選
2・dosのメンバーの現在
3・dosの結成秘話や代表曲
についてお伝えしていきます。
dosの解散理由3選
ここからは、自然消滅してしまったdosの解散理由3つについて深堀りしてみたいと思います。
理由1・プロデューサー小室哲哉の多忙・関心移動
プロデューサー小室哲哉さんがdosに対する関心を失い、多忙さも重なった背景は1990年代後半の彼の仕事量と活動範囲の広がりが関係しています。
小室哲哉さんは1995年ごろからtrf、globe、安室奈美恵、華原朋美、H Jungle with tなど多くのアーティストを同時にプロデュースし、その全ての作詞作曲やレコーディング、プロモーション、ライブ企画までも監督するなど、音楽業界を席巻する存在となっていました。
dosのデビュー時期(1996~1997年)も、小室さん自身の活動がピークに達した時期と重なっており、毎月のように新しいプロジェクトや楽曲制作、テレビ・メディアの出演依頼が押し寄せていた状況です。

あの頃はヒット曲すべてが小室哲哉の曲といってもいいくらいだったね。
そのため、プロデューサーとして立ち上げたグループやアーティストのプロデュースに最後まで深く関わらず、興味や関心が移ると早い段階で次の企画へと注力する傾向が顕著でした。
dosもまさにその例に当てはまり、デビュー後も新企画や話題アーティストへの注力のためにサポートがおろそかとなり、グループとしての長期的活動が困難になっていったのです。
理由2・asami(あさみ)の新ユニット移籍
あさみ(由野麻美)さんは、dosでの活動後、1998年にプロデューサーの小室哲哉さんとともに新しい音楽ユニット「TRUE KiSS DESTiNATiON」を結成しました。
あさみさんは新ユニットでボーカルを担当し、TRUE KiSS DESTiNATiONはR&B路線を強調した2人組デュオとして始動しました。
このユニットは1998年春に始まり、シングルやアルバムを複数枚リリースし、5thシングル以降は「Kiss Destination」と改名して活動。
あさみさんと小室哲哉さんは後に結婚し、子どもも誕生しましたが、その10か月後に離婚し、新しいユニットも事実上終焉を迎えます。
この一連のユニット再編により、dosの活動継続が不可能になったと考えられます。
理由3・グループとしての明確なビジョンの欠如
dosは小室哲哉プロデュースのR&Bダンスユニットとして結成されましたが、メンバーそれぞれのモチベーションや目標が必ずしも一致していませんでした。
多様な個性や価値観を持つメンバーが集まる一方で、グループとしての共通のビジョンや長期的な目標が明確に定まっていなかったため、結束力や一体感を維持するのが難しい状況でした。
また、小室哲哉さんが複数のプロジェクトに忙殺される中で、dos自体への注力が限定的となり、メンバー間のモチベーション調整やサポートが不十分となった点も要因とされています。
プロジェクトに対する強い共通意識と、達成感をメンバー全員が共有できることがチーム運営には重要ですが、dosの場合は個々の活動や方向性がバラバラで、これがグループ活動の持続を難しくしたようです。
dosはプロデューサーやメンバーの方向性の変化によって、はっきりとした「解散」ではなく、自然消滅という形で活動を終えることになりました。
dosのメンバーの現在
ここからは、dosのメンバーの解散後から現在について1人ずつまとめてみました。
ボーカル・taeco(西野妙子)の現在
taecoこと西野妙子さんは、1975年12月30日生まれで、2025年現在49歳です。
元々はアイドル歌手や女優、タレントとして活動しており、1996年にdosのヴォーカルとしてデビューしました。
dos解散後は芸名をtaecoから本名の西野妙子に戻して女優業やタレント活動を中心に行い、2001年にセブンス・アヴェニューに所属していた時期もありました。
主なドラマ出演作品には、フジテレビの「アンティーク~西洋骨董洋菓子店~」(2001年)や「恋愛偏差値」(2002年)、NHK「夢見る葡萄~本を読む女~」(2003年)、日本テレビの「14歳の母」「地獄少女」(2006年)などがあります。
しかし、2007年以降は芸能活動の記録がなく、現在は芸能界を休止もしくは引退しており、公の場での活動情報はほぼありません。
プライベートに関する情報も非常に少なく、一般人として静かに過ごしていると考えられます。
asami(吉田麻美)の現在
asami(本名:由野麻美→吉田麻美)さんは1975年3月5日生まれで2025年現在50歳です。
dosのダンス・コーラス担当としてデビューし、その後、様々な活動を経ています。
2013年にはダンスレディースユニット「BLUE MOON BOO」を結成しリーダーを務め、2014年に「BMB♥!!」でデビューしましたが、その後の活動情報は少なくなっています。
私生活では、小室哲哉さんとの離婚後は再婚せず、シングルマザーとして娘を育てているとされ、特に養育費や慰謝料の問題で困難な状況もあったことが報じられています。
2025年現在は、港区で毎年開催される音楽祭から生まれたユニット「霞町シスターズ」のメンバーとして活動しています。
「霞町シスターズ」は個性豊かなボーカリストが集まるユニットで、ライブやイベント出演を積極的に行っています。
asamiさんはこのユニットで歌とダンスを活かし、独自の表現者として活動を続けています。
kaba(カバちゃん)の現在
kabaこと椛島永次さんは、1969年6月19日生まれで2025年現在56歳です。
dosでダンス・コーラス担当としてデビューしました。
dosではオネエキャラクターであることを隠して活動しており、事務所から男性として振舞うよう指示されていました。
dosが自然消滅した後、kabaさんはオネエキャラクターを解禁し、振付師兼タレント「KABA.ちゃん」として注目を浴びます。
その後、性転換手術を受け、声と性別を変更。今では本名を樺島一華(かばしまいちか)とし、ダンサーや振付師、タレントとして活躍しています。
振付師としては、安室奈美恵、SMAP、華原朋美、HKT48など数多くのトップアーティストの振付を手掛け、業界内で高い評価を受けています。
また、メディア出演でもオネエキャラクターとして愛され、トーク番組やバラエティなどで活躍中です。
dosの結成秘話や代表曲
ここからは、dosの結成秘話や代表曲について詳しくお伝えしていきたいと思います。
「ASAYAN」から誕生した音楽ユニット
テレビ番組「ASAYAN」(アサヤン)は1995年から2002年まで放送されていたオーディションバラエティで、小室哲哉さんがプロデュースした大規模な企画「コムロギャルソン」はその中核を担っていました。
「コムロギャルソン」は小室哲哉さんの人気絶頂期に行われたオーディション企画で、全国から約25,929人もの応募者が殺到しました。
応募者は歌唱力やダンススキルを評価され、3人組のユニット結成を目指して厳しい審査が行われました。
このオーディションから、後にdosとしてデビューするtaeco(西川妙子)、asami(由野麻美)、kaba(椛島永次)が選ばれました。
「dos」という音楽ユニット名とコンセプト
ユニット名の「dos」は「dance of sound」の略称で、歌とダンスを同時に楽しめる「見る音楽」をコンセプトに掲げていました。
小室哲哉さんは世界的に人気を博していた米国R&BグループTLCに強い影響を受け、「日本版TLC」を作ることを目指し、このユニットをプロデュース。
メンバー数やデビュー曲のタイトル、PVの衣装などにその意図が反映されています。
dosの代表曲はデビュー曲「Baby baby baby」
dosの代表曲はデビュー曲の「Baby baby baby」です。
1996年3月21日にリリースされたこの曲は、dosの持つR&Bダンスサウンドとキャッチーなメロディが融合した楽曲で、オリコンチャートで最高4位を記録しました。
資生堂の「ティセラ」CMソングとしても起用され、メンバー自身もCMに出演するなど大きな話題となりました。
また、1996年4月19日にテレビ朝日の「ミュージックステーション」に初出演した際に披露され、そのパフォーマンスも注目されました。
この曲は小室哲哉さんのプロデュース作品で、楽曲は彼と前田たかひろさんが作詞・作曲を担当しています。
この曲を通じて、dosは一躍注目のユニットとなりました。
2枚目シングル「more kiss」
この曲はTBS系ドラマ『ひと夏のプロポーズ』の挿入歌として使用され、dosの音楽性を象徴するR&Bとダンスの融合が特徴的です。
作詞は前田たかひろさん、作曲・編曲は小室哲哉さんが担当しました。
「More Kiss」は、dosの中でも特にダンサブルで魅力的な曲としてファンに愛されており、1990年代の日本のダンス&R&Bシーンを代表する楽曲の一つです。
まとめ
dosは小室哲哉さんのプロデュースによって世に送り出されましたが、彼の気まぐれとも言えるプロデューススタイルによって自然消滅という形の解散となりました。
しかし、短期間ながらも輝きを放った彼女たちの活動は、今も多くのファンに愛されています。
これからもdosの音楽と物語は、90年代の日本の音楽シーンの重要な一ページとして輝き続けることでしょう。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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