1990年代後半から2000年代前半に活躍したビジュアル系ロックバンドのファナティッククライシス。
しかし、2005年5月14日に東京ベイNKホールで解散ライブを開催し、活動を終了しました。
その背景にはどのような理由があったのでしょうか?
そこで今回は、
1・ファナティッククライシスの解散理由3選
2・ファナティッククライシスの再結成と現在
3・ファナティッククライシス全盛期の活動や代表曲
について調べてみたいと思います。
ファナティッククライシスの解散理由3選
ここからは、ファナティッククライシスの解散理由3つについてお伝えしていきます。
理由1・音楽的方向性の違い
メンバー間で進みたい音楽の方向性が一つに定まらず、それぞれの思いやビジョンのズレが大きくなったことが理由の一つだったようです。
メンバー間で、進みたい音楽の方向性がひとつに定まらなかったのです。ただしケンカ別れで解散したわけではありません。
引用:Yahoo!知恵袋
理由2・契約期間満了や事務所事情
所属していた事務所との契約期間の満了や、事務所との関係・契約更新のタイミングが重なったことも解散の背景にありました。
レコード会社との契約期間終了が近づいていたため、続ける(新しい作品を出す)のか、それともやめる(解散する)のか、答えを出すことを時間的に迫られていたのです。
引用:Yahoo!知恵袋
理由3・メンバーの気持ちの温度差
ボーカルの石月努さんが「やり残したことがあった」と感じていた一方で、他のメンバーは「やりきった」と解散に納得していたなど、メンバー間で活動継続への思いに温度差があったことも明かされています。
「FANATIC♢CRISISにはやり残したことがあった」と冒頭で努さんがおっしゃってましたけど、kazuyaさんとSHUN.さんも、そういう気持ちがあったんですか?
Kazuya:いや、全くなかったですね。僕がずっとファンの皆さんに言ってるのは、「今を生きます」っていうことなんですよ。だから過去がうんぬんとか振り返ることがない。
引用:BARKS
いずれも決定的な「不仲」での解散ではなく、あくまで各メンバーの意向や事情が重なった結果と語られています。
ファナティッククライシスの再結成と現在
ファナティッククライシスは2019年に再結成しました。
その経緯と現在の活動についてまとめてみました。
石月努の声かけで再結成
ボーカルの石月努さんはファナティッククライシス解散後も音楽に対する強い情熱を持っており、やり残した思いがあったことから、2019年に再結成の声かけをしました。
石月努さんの強い意志で中心メンバーが再び集まり、「FANTASTIC◇CIRCUS」という新たなバンド名で再始動しました。
2022年の結成30周年記念を大きな節目として、日比谷野外音楽堂での記念ライブも成功させています。
僕がFANATIC♢CRISISを結成して、2022年で30周年なんです。FANATIC♢CRISISは僕の青春そのものでした。
引用:BARKS
ただ、こんなこと言ったらファンの皆さんがどう思うかわからないですけど、実は、僕の中でやり残したことがあったんです。
解散の理由も正式に自分の言葉で伝えていなかったし。
時間が経つにつれて、自分の中で引っかかってるものが大きくなっていって。
再結成に乗り気ではなかった和也
ギターの和也さんは当初、再結成にそれほど前向きではありませんでしたが、話が具体的に出てくると「再結成したらどうなるのか興味がわいた」と気持ちが変わり参加を決断しました。
石月努さんと和也さんは10代の頃にバンド結成に向けて一緒にやりたいと思い合っていた仲であり、その強い絆が再結成の後押しになったのかもしれません。
Kazuya:そもそも僕、バンドの復活っていうものに賛成派じゃないので。状況にもよりますよ? たとえば解散したくないのに、そうせざるを得なかったバンドなら、“復活して良かったな”って思うんです。だけど、そうじゃないバンドの復活って、“ふ〜ん”って思っちゃうんですよね。客観的に考えちゃうというか。
~中略~
“バンドが復活するという立場に自分が置かれたら、どんな気持ちがするんだろう?”っていう疑問に対する答えを知りたい、ということが大きいかもしれない。
引用:BARKS
それに、止まることなく続けてきた現在、当時よりも音楽レベルが上がってるはずだから、“今の自分がFANATIC♢CRISISを演ったらどうなるんだろう?”っていう興味もあったんです。
shunの病気で現在は2人で活動
ギターのSHUNさんは再結成後に体調を崩し、精神的な不調から療養に入りました。
まずはメンバー、スタッフ、そしてファンの皆さんにご心配、ご迷惑をおかけしてしまい本当に申し訳ありません。
今年2月より精神的不調ということでお休みをいただいておりますが、原因としては重度のストレス性障害、うつ病と医師より診断されました。
更に以前より患っていたトゥレット症候群が悪化してしまい通常の生活もままならない状態です。現状では復帰の目処は立っていないのですが、またみんなに会えるようにと通院リハビリを引き続き頑張っていきますので、ご心配をおかけしますがご理解いただけたら嬉しいです。
SHUN.
引用:ファナティッククライシス公式サイト
SHUNさんの療養を支援しつつ、残った石月努さんと和也さんが2人でバンド活動を続ける決断をしました。
メンバーや関係者はSHUNさんの回復を待ちながらも、現状に合わせた活動形態でファンとの約束を守り続けているという状況です。
最新では2025年9月に東京Spotify O-EASTで石月努さんと和也さんの2人による活動再開ワンマンライブを開催し、新たなフェーズのスタートを切っています。
ファナティッククライシス全盛期の活動や代表曲
ここからは、ファナティッククライシスの全盛期の活動や代表曲について深堀りしてみたいと思います。
ビジュアル系四天王と呼ばれた
ファナティッククライシスは1990年代後半、MALICE MIZER、La’cryma Christi、SHAZNAとともに「ビジュアル系四天王」と呼ばれ、当時のビジュアル系シーンを代表する存在でした。
バンドは1992年に名古屋で結成され、1995年に5人体制(石月努、和也、SHUN.、RYUJI、長江徹)となりました。
インディーズ時代から活動し、名古屋を中心に黒夢やラピュータと並ぶ名古屋系ビジュアル系バンドとしての地位を築きました。
1997年に「SUPERSOUL」でメジャーデビュー。
ビジュアル系の多くがダークで幻想的な印象が強い中、ファナティッククライシスは比較的明るくキャッチーなポップス系サウンドを持ち味とし、「ソフヴィ(ソフトなヴィジュアル系)」に分類されました。
この路線の違いが多くのファンに支持され、四天王の中でも独自性を発揮しました。
氷川きよしとのスペシャルユニット
ファナティッククライシスと氷川きよしさんは、2004年に「CROSS CLOVER」というスペシャルユニットを一緒に結成したことがあります。
このユニットは、同じ事務所に所属していた氷川きよしさん、ビリケン、ファナティッククライシスの3組によって作られ、日本赤十字社のイメージソング「evergreen(いのちの唄声)」をリリースしました。
この曲の作詞作曲はファナティッククライシスの石月努さんが担当しており、期間限定のプロジェクトでしたが、異ジャンルアーティスト同士のコラボレーションとして話題になりました。
また、氷川きよしさんはもともとロックやビジュアル系好きとしても知られ、このコラボをきっかけにさらに交流が深まったとも言われています。
双方にとって特別な音楽的接点となったコラボレーションです。
代表曲「火の鳥」で頂点に
ファナティッククライシスの代表曲「火の鳥」は、1998年7月にリリースされた彼らの9枚目のシングルであり、オリコンチャートで初めてトップ10入りを果たした大ヒット曲です。
この曲はボーカルの石月努さんとギターの和也さんが作曲し、編曲には神林義弘さんとバンドメンバー全員が参加しています。
ドラマティックで壮大なメロディに、切なくも熱い歌詞が乗り、愛と再生をテーマにした内容が多くのファンの共感を呼びました。
「火の鳥」の歌詞は、困難に直面しても愛する人と何度もめぐり逢い、生まれ変わる強い意志を歌い上げています。
「舞いあがれ愛しさよ キラメキもトキメキも」といったフレーズからも情熱的な願いが感じられます。
また、この曲は日本テレビ系の人気バラエティ番組『ぐるぐるナインティナイン』のエンディングテーマに起用され、テレビ露出の増加も影響してヒットを後押ししました。
ライブでは定番曲であり、再結成後のファナティッククライシスでもセルフカバーされ、その名曲は現在も多くのファンに愛され続けています。
まとめ
ファナティッククライシスの解散は、メンバー間の音楽的方向性の違いや契約期間満了が重なったこと、そしてそれぞれのメンバーの気持ちの温度差が理由でした。
「やり残した」と感じていたボーカル石月努さんの思いが再結成につながるきっかけとなりました。
再結成後は新たな形で活動を始め、ファンへの感謝を示しつつも、自分たちらしさを大切にした音楽を届けています。
これからも彼らの進化から目が離せません。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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