長年ラジオの第一線で活躍してきたヒロ寺平さんが、2019年に突然の引退を発表しました。
自由なトークと独自の選曲で、世代を超えて支持を集めてきたヒロ寺平さんがどのような理由で引退を決意したのでしょうか?
そこで今回は、
1・ヒロ寺平の引退理由3選
2・ヒロ寺平の現在
3・ヒロ寺平のプロフィール
についてお伝えしていきたいと思います。
ヒロ寺平の引退理由3選
ここからは、ヒロ寺平さんがラジオという舞台から引退する決意をした理由3つについて探っていきたいと思います。
理由1・業界環境の変化による息苦しさ
ラジオ業界は近年、配信中心の音楽流通や広告重視の編成が進み、自由度が狭まりました。
ヒロ寺平さんは長年、直感を信じた選曲と率直な語りで支持を集めてきましたが、制作現場では数字や契約が優先され、表現の裁量が減ったと感じていました。
ヒロ寺平さんにとって、番組作りは挑戦の連続であり、縛りの増加は創作意欲を削ぐ要因でした。
業界内で危機感の共有が進まず、温度差が広がる状況も重なり、ヒロ寺平さんは息苦しさを抱え続けました。
最終的に、納得できる形で歩みを区切る選択が引退へとつながりました。
理由2・長年の過酷な働き方とプライベートの欠如
ヒロ寺平さんは30年以上、第一線のラジオDJとして走り続けてきました。
早朝から深夜まで番組準備や放送に追われ、休みは不規則で、私生活に割ける時間は限られていました。
ヒロ寺平さんは仕事を最優先する日々を重ね、家族や趣味と向き合う余裕を持ちにくかったと語っています。
積み重なった疲労は心身に影響を与え、生活のバランスを見直したい思いが強まりました。
ヒロ寺平さんは未来の暮らしを思い描き、働き方を変える覚悟を固めました。
ヒロ寺平さんにとって引退は、健康を守り、人生の幅を広げるための前向きな選択でした。
理由3・ラジオ業界への危機意識の表明
ヒロ寺平さんは引退という決断を、個人的な区切りにとどめていませんでした。
ラジオ業界全体が利益や効率を優先する流れに傾き、番組の個性や音楽文化の幅が失われつつある現状に、強い危機感を抱いていました。
ヒロ寺平さんは、長年支えてきたリスナーの存在が軽視されることを何よりも懸念していました。
ヒロ寺平さんにとって引退は、業界関係者へ向けた静かなメッセージでもあります。
今いるリスナーと誠実に向き合い、ラジオ本来の魅力を守る努力が必要だという思いを、行動によって示しました。
ヒロ寺平さんはラジオの未来を案じ、変化を促す意志を込めて放送の現場を離れました。
ヒロ寺平の現在
長年ラジオ界で活躍してきたヒロ寺平さんですが、一度の引退を経て、再びマイクの前に戻り精力的に活動を続けています。
ここからは、ヒロ寺平さんの現在の活動や復帰のきっかけについてお伝えしていきたいと思います。
引退からの復帰
ヒロ寺平さんは一度引退を選択した後も、ラジオとの関わりを途切れさせていません。
2019年の区切りを経て、2024年9月にはNHK-FMの特別番組で再びマイクの前に立ち、大きな反響を呼びました。
ヒロ寺平さんが現在出演している主なラジオ番組は、NHK-FMで2024年9月から始まった「ヒロTのポストカードミュージック」です。
この番組は毎週月曜日の朝に放送されており、リスナーからの手書きのポストカードを募集し、その中から選ばれた曲とともに思い出を紹介する内容です。
2025年も継続して放送されており、ライブビューイングイベントも開催されるなど、注目を集めています。
ヒロ寺平さんは公式ブログやSNSを通じて近況を伝え、リスナーとの距離を大切にしています。
音声だけにとどまらず、映像やイベントを組み合わせた表現にも挑戦し、ラジオの可能性を広げています。
ヒロ寺平さんの姿勢からは、形を変えてもラジオを愛し続ける強い思いが伝わってきます。
復帰のきっかけは?
ヒロ寺平さんが再びラジオの世界に戻るきっかけとなったのは、2023年11月3日に放送されたNHK-FMのaikoデビュー25周年記念特番でした。
約5時間にわたる生放送で語り合う中、ヒロ寺平さんの胸に残っていたラジオへの思いが自然とよみがえりました。
引退後は一人のリスナーとして番組を楽しんでいましたが、この特番出演を通じて再挑戦への気持ちが固まりました。
ヒロ寺平さんは自ら企画書を携え、原点でもあるNHKに復帰を提案しました。
長年培った経験と情熱をもう一度届けたいという思いが、行動につながったのです。
ヒロ寺平さんはこれからも新しいラジオの形を模索し続けています。
ヒロ寺平のプロフィール
ラジオ界で長年活躍し、多くのリスナーに愛されてきたヒロ寺平さん。
その魅力は、単に声や番組作りだけでなく、ヒロ寺平さん自身の歩んできた人生や経験にもあります。
ここからは、ヒロ寺平さんの生い立ちからキャリアの歩み、家族や活動の背景に至るまで、幅広く紹介します。
ヒロ寺平の身長などの基本情報
名前:ヒロ寺平(ひろ てらだいら)
本名:寺平 博次(てらだいら ひろつぐ)
生年月日:1951年11月27日(2025年現在74歳)
身長:181㎝
出身地:大阪府大阪市中央区(旧南区)
学歴:関西学院大学商学部卒業
ヒロ寺平さんは関西学院大学商学部を卒業後、カナダへ留学し、帰国後は楽器関連の会社を設立しつつ音楽家やMCとして活動。
その後、1985年にラジオ関西でDJデビューし、1989年に開局したFM802の看板DJとして活躍。
開局初日の第一声を担当し、長時間生放送の記録を樹立するなど関西の音楽シーンを支えました。
2013年にFM COCOLOに移籍し、2019年に一度引退しましたが、2024年にNHK-FMの特別番組で復帰しました。
ヒロ寺平さんの特徴は音楽に特化したスタイルで、関西のFM802やFM COCOLOなどで長く親しまれてきました。
主な出演番組には「FRIDAY AMUSIC ISLANDS」「OSAKAN HOT 100」「HIRO T’S MORNING JAM」などがあります。
今もなおラジオDJとして活動中で、70歳を超えてからの復帰は大きな話題となっています。
ヒロ寺平はクォーター?両親は?
ヒロ寺平さんはクォーターではなくハーフです。
実の父親はアメリカ人で母親は日本人です。
ヒロ寺平さんは戦後間もない1951年に大阪で生まれました。
日本人の母親と米軍兵士との間に誕生し、当時の社会では祝福されにくい環境の中で幼少期を過ごしたそうです。
ヒロ寺平さんは弟とともに、周囲から心ない言葉を向けられることも多く、強い偏見を感じながら成長しました。
小学校入学前に実父が帰国し、その後は養父に育てられ、深い愛情を受けた経験もあります。
第二次大戦後大阪に駐留していた米軍兵士と恋に落ち、結婚。
敗戦直後の日本で米兵との結婚は周りからの祝福は得難かったであろう。
それでも朝鮮戦争真っ只中の1951年に僕が産まれその2年後に弟も続いた。
当時、僕たち兄弟は世間から奇異なものを見る目に晒された。
「混血」「アイノコ」など幼い子供には辛過ぎる雑言が耳に飛び込んでくる時代だった。
そして僕が小学校に上がる前、母と2人の子供を置き去りに実父はアメリカに帰国。
ほどなく母は再婚し僕らは養父に育てられた。
大切に育てられた事への感謝の気持ちは当時から今に至るまで持ち続けている。
引用:ヒロ寺平オフィシャルブログ
一方で、出自について問われる場面が多く、ヒロ寺平さんは自らのルーツを語らずに生きてきました。
ヒロ寺平さんは、辛かったことも山のようにあったけれど、それ以上に得るものも大きかったと語っています。
ヒロ寺平の自宅は帝塚山?
ヒロ寺平さんが帝塚山に実際に住んでいるという情報は確認できませんでした。
ヒロ寺平さんが帝塚山に実際に居住しているという確かな情報は確認されていません。
大阪市内に自宅を構え、大阪を拠点に活動していることは知られていますが、住所を公表しているわけではありません。
一方で、ヒロ寺平さんは帝塚山周辺の文化や街の雰囲気に強い親しみを持っています。
地元の話題や老舗店が番組や発言に登場することも多く、地域への関心の深さが伝わってきます。
ヒロ寺平さんは地域イベントや大阪の暮らしについても積極的に語り、街の魅力を自然に紹介してきました。
居住地とは別に、ヒロ寺平さんにとって帝塚山は思い出や縁の詰まった特別なエリアのようです。
ヒロ寺平の嫁
ヒロ寺平さんの妻との出会いは、飛行機で隣り合わせた偶然の出来事から始まりました。
その自然な縁がきっかけとなり、やがて結婚へとつながっています。
結婚後は生活を共にするだけでなく、英会話学校をゼロから立ち上げるなど、仕事面でも力を合わせて歩んできました。
ヒロ寺平さんは、公私にわたって支え続けてくれた存在として妻への感謝をたびたび語っています。
そして、4年後の金婚式を前借りして、2025年11月にニューヨーク界隈を旅してきたそうです。
旅程は6泊7日で、最初の2日は自由行動、あとはバスでアメリカ東海岸の名所を巡るハードなスケジュールでした。
ニューヨークの観光名所やミュージカル鑑賞、フィラデルフィアの美術館や独立記念館訪問など充実した旅を楽しみ、多くの写真を撮影しています。
元気なうちに思い切って行動することを選んだと語っています。
ヒロ寺平の息子は?
ヒロ寺平さんの息子は寺平佳裕(てらだいらよしひろ)さんと言い、1983年12月22日に生まれました。
大阪市阿倍野区で育ち、関西学院高等部から関西学院大学経済学部へ進学しています。
寺平佳裕さんは大学卒業後、リクルートエージェントに入社し、中小企業の採用支援を中心に法人営業やマネジメントを経験しました。
2016年には同級生と合同会社こっからを設立し、自己開発や企業研修の分野で活動を開始しています。
さらに寺平佳裕さんは株式会社つぶだてるを創業し、代表取締役として個人と組織の成長を支援しています。
ヒロ寺平さんの息子としての背景を持ちながらも、寺平佳裕さんは独自の道を歩み、多方面で活躍を続けています。
まとめ
ヒロ寺平さんの引退は、業界環境の変化や長年の過酷な働き方、プライベートの制約、ラジオ文化への危機感といった複数の理由が重なった慎重な決断でした。
しかし、ラジオへの情熱は消えることなく、2023年の特番出演をきっかけに復帰を決意。
現在も生放送やイベント出演を続け、SNSやブログでリスナーと交流を続けています。
ヒロ寺平さんの生き方は、ラジオへの深い思いと挑戦を続ける姿勢が感じられ、ファンにとっても心の支えとなっています。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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