栗山英樹の引退理由3選!奥さんはいる?結婚歴や福島弓子との関係も!

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2023年に野球日本代表・侍ジャパンの監督を務め、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で日本を世界一に導いた栗山英樹さん。

現役時代はプロの厳しい世界で苦労しながらも、決して諦めずに努力を続けた選手でした。

しかし現役生活わずか7年、29歳という若さで引退しました。

その背景にはどのような理由があったのでしょうか?

そこで今回は、

1・栗山英樹の引退理由3選と現在
2・栗山英樹の結婚歴や福島弓子との関係
3・栗山英樹の自宅や愛車

について調べてみたいと思います。

栗山英樹の引退理由3選

ここからは、栗山英樹さんの引退理由3つについて調べてみました。

理由1・病気の悪化

栗山英樹さんは現役時代、メニエール病という内耳の病気に苦しみました。

突発的なめまいや目の前がぐるぐる回る感覚遠近感がつかめない症状に悩まされ、守備やバッティングの際に大きな支障をきたしていました。

僕はセンターの守備位置につき、外野手同士のキャッチボールをしていると、いきなり目の前がグルグルと回り始めたのです。ボールが二重にも三重にも見えて、足元が左右にグラグラと揺れる。すぐに吐き気にも見舞われました。

引用:Wedge ONLINE

二度の長期入院も経験し、完治することはなく現役中ずっと症状と闘い続けていました。

理由2・肉体的な限界

慢性的な右肘の故障や両足の肉離れなど、体のあちこちに限界を感じていました。

とくに右肘については「朝の洗顔すらままならないほど鈍痛が続いた」と告白しています。

医師にも「20代とは思えないほど体がガタガタ」と言われ、自身の肉体的な限界を強く自覚していました。

「今年が大事だと一日一日、悔いのないようにやってきたつもりです。それは肉体的な理由からです。医者にいわせるとボクの体は『20代とは思えないくらい、ガタが来ている』そうなんです。実際、右ヒジ遊離骨の鈍痛で朝の洗顔さえも、ままならないほどでした」

引用:文春オンライン

理由3・自己基準の厳しさ

栗山英樹さんは「人より努力しなければプロで生き抜けない」と信じており、自分が120%の努力をできない状態になった時点でプロとして続ける資格がないと考えていました。

野球が好きだからこそ「本気で臨めなくなったら潔く引く」という強い美学と責任感が、引退決断につながっています。

「ボクの身上は目一杯の、一生懸命のプレー。でも体調が悪くては集中力が欠如して、いかんともしがたい。きれいごとに聞こえるかもしれませんが、野球が好きだからこそ辞めなければならない、ボクの心情を察してください」

引用:文春オンライン

引退後から現在まで

栗山英樹さんは現役引退後、幅広い分野で活躍してきました

栗山英樹さんの活躍をまとめてみました。

解説者・スポーツキャスター・評論家
引退直後の1991年以降は、テレビ朝日やTBSラジオなどで野球解説者やスポーツキャスターを務め、プロ野球や高校野球の魅力を発信しました。
スポーツ紙での評論活動にも従事し、幅広い視点から野球界に貢献しました。

教育・指導活動
母校や大学での講師・教授として、スポーツメディア論や野球に関する指導も担当。
白鷗大学では経営学部教授となり、後進の育成に積極的に関わっています。
少年野球普及や指導にも注力し、地域や教育分野への貢献も大きいです

プロ野球監督・球界リーダー
2012年から2021年まで北海道日本ハムファイターズの監督を務め、日本一およびリーグ優勝を経験。
2021年シーズン終了後は球団の育成・編成プロフェッサー、2023年末にはチーフ・ベースボール・オフィサー(CBO)に就任し、チーム編成・球団運営全体に携わっています。

侍ジャパン監督
2021年12月より野球日本代表・侍ジャパンの監督となり、2023年WBCで日本を世界一へ導きました。
その実績により講演・メディア出演や地域プロジェクトでも活躍の場が広がっています。

社会・教育分野への多彩な関与
野球界のみならず大学特任教授や企業の社外取締役、子ども支援プロジェクトのアンバサダーなど幅広い分野で活動しています。

引退後は野球の解説や大学の教授監督など様々な活躍をしてきました。

そして現在、栗山英樹さんは北海道日本ハムファイターズのチーフ・ベースボール・オフィサー(CBO)として働いています

2024年1月からこの役職に就いており、チームの編成強化や球団運営全体の基盤強化を担っています

また、大学教授としての活動も続けており、大阪学院大学の顧問や一般財団法人「球心会」副代表、中学球児応援プロジェクトのアンバサダーなど、多方面で教育や野球普及に携わっています。

栗山英樹の結婚歴や福島弓子との関係

ここからは、栗山英樹さんの結婚歴や噂になったことのある福島弓子さん、その夫であるイチローさんとの仲なども深堀りしてみたいと思います。

奥さんはいる?子供は?

栗山英樹さんは現在独身で、結婚歴もなく、子供もいません。

栗山英樹さんはプロ野球選手時代から誠実な人柄と知的なイメージが強く、とてもモテていたようです。

真面目で努力を惜しまない姿勢がファンや仲間から好感を持たれ、ファンレターも多かったことが知られています。

何人かの女性と噂になったこともありますが、現在は野球一筋で”女性はもういい”というスタンスになり、独身を貫いているようです

福島弓子との関係

栗山英樹さんと福島弓子さんの関係は、1990年代半ばに交際し、婚約寸前まで進んだ恋人同士でした。

二人はTBSのスポーツ番組「JNNスポーツ&ニュース」で共演し、仕事を通じて親しくなり交際に発展しました。

栗山英樹さんは福島弓子さんの両親に結婚の挨拶を済ませ、「弓子さんを幸せにします」と約束し婚約に至りましたが、1995年に突然一方的に婚約破棄を告げました。

破棄の理由には、栗山英樹さんがプロテニスプレーヤーの伊達公子さんに対して心が揺れたことが関係していると報じられています。

福島弓子さんはこの婚約破棄によって精神的に追い込まれた時期もありましたが、その後イチローさんと出会い結婚しています。

この一方的な婚約破棄の影には、世界的テニスプレイヤーだった伊達公子の存在があった。福島に対して栗山は「99%は福島さんのことを考えているが、残り1%は伊達さんを考えている」と言い放ったという。

この婚約破棄に対して福島は当時の取材でこう語っている。
「確かに結婚の約束をしてました。私の親にも会って話しています。
でも95年に結婚はなかったことにしてほしいと突然言われました。納得できる答えをまだもらっていません」

当時の福島はこの一件で、急激にやつれてしまったそう。

引用:exiteニュース

イチローとの仲は?

過去に交際・婚約をしていた福島弓子さんの現在の夫・イチローさんとの仲は、過去の経緯から非常に微妙で距離があると言われています。

公式な場での共演や交流は非常に少なく、メディアでは「共演NG」や「不仲説」が度々取り沙汰されていて、互いに距離を置いているのは確かだと考えられています。

テレビでの解説の場面でも、栗山英樹さんはイチローさんの話題が出ると苦笑いでスルーしたことに、視聴者からも違和感の声が上がっていました。

「現地解説を務めた2人はユニフォームを着ていて、古田さんは大谷選手のユニフォーム、松坂さんはイチローさんのユニフォームに身を包んでいました。
シアトルということで着用していたのでしょうが、それを振られた栗山さんは、苦笑いするだけでこの際もコメントなし。流れ的にも、さすがに見ていて違和感がありましたね」

引用:ニュースライブドア

野球ファンの中には2人の因縁の関係を知る人も多く、

《栗山さんにイチローの名前はちょっと……》

《いくらオールスターとはいえ、栗山監督の前でイチローの話題はいかんw》

《アナウンサーが栗山さんにイチローの話を振るたびにソワソワして、もう大谷どころではない》

など、栗山英樹さんの反応が気になってしまう人も多かったようです。

栗山英樹の自宅や愛車

ここからは、栗山英樹さんの自宅愛車などについて詳しく調べてみました。

栗山英樹の自宅は?

栗山英樹さんの自宅は北海道の栗山町にあります。

栗山町は人口約12,000人ののどかな町で、札幌市や千歳空港から車で約1時間の距離です。

栗山英樹さんが栗山町に住むきっかけは、同じ名字を持つ縁で栗山町から観光大使の打診を受けたことでした。

1998年に栗山町の青年会議所のイベントに招待されたことから町との交流が始まり、そこで「野球場をつくりたい」という夢を語ったことがきっかけで栗山町の人々と協力して野球場「栗の樹ファーム」を建設しました。

栗山英樹さんはもともと東京都小平市の出身で、北海道とは地縁はありませんでしたが、栗山町の地域の人たちの熱意と協力に触れ、「この町でなら夢を実現できる」と感じて移住を決意しました。

2011年頃に生活拠点を移し、2015年には完全に栗山町に暮らすようになりました。

この野球場は映画『フィールド・オブ・ドリームス』のトウモロコシ畑の中の球場に感動して作ったもので、天然芝の本格的な球場です。

隣には栗山英樹さんの私物の野球グッズを展示したログハウスもあります。

https://maps.app.goo.gl/EQUUg7ToPSGk4y979

栗山英樹の愛車は?

栗山英樹さんの愛車は「軽トラック」です。

北海道栗山町の生活拠点では、ジャージに長靴というラフなスタイルで自ら軽トラックを運転している姿がよく知られています。

特に、栗山監督としてWBC優勝後の地元栗山町での祝賀パレードでは、自身が運転する軽トラックの荷台に乗って町民やファンの声援に応える姿が話題になりました。

この軽トラックは「栗の樹ファーム」という自身が作った野球場の名前が入ったもので、地元住民に親しまれ、栗山英樹さんの象徴的な乗り物となっています。

高級車を乗り回して派手な生活をするのではなく、自然や人間関係を大切にし、謙虚で堅実な生き方をしているところが、ファンや地域住民から愛される理由の一つなのかもしれません。

まとめ

現役時代に体力や健康の限界を感じ、自分の「120%の努力」ができなくなったことを理由に29歳で現役引退をした栗山英樹さん。

その後も野球に対する真摯な姿勢を貫き、解説者や監督として成功を収めてきました。

栗山英樹さんの人生は、常に野球への情熱と人を育てる姿勢に満ちており、これからも日本の野球界に大きな影響を与え続けるでしょう。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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