現在、ドラマやバラエティー番組で幅広く活躍している野呂佳代さん。
実は元AKB48のメンバーだったんですよね。
AKB時代はあまり目立った印象はなかったのですが、今現在は大活躍ですよね。
そんな野呂佳代さんがAKB48での経験を経て、なぜ新たな道を歩む決断をしたのか。
その背景にはどのような理由があったのでしょうか?
そこで今回は、
1・野呂佳代のAKB卒業理由
2・野呂佳代のSDN48卒業後と現在
3・野呂佳代のAKB時代
についてお伝えしていきたいと思います。
野呂佳代のAKB卒業理由
ここからは、野呂佳代さんのAKB48を卒業した理由についてお伝えしていきます。
SDN48への移籍勧告のため
野呂佳代さんはAKB48を「卒業した」というよりも、実質的には「押し出される形で」姉妹グループのSDN48に移籍させられたと言えます。
AKB48が急成長し勢いがあった時期に、野呂佳代さんは突然SDN48への移籍を勧告されました。
2009年、AKB48は初のシングル売り上げ1位を記録するなど世間が大注目するアイドルグループに急成長。この人気にあやかり、野呂のモチベーションも上がっていく…はずだったのだが、奈落の底に突き落とされる、ある出来事が起きる。
勢いに乗るAKBから、まさかの新しいグループSDN48への移籍勧告。
引用:entax
野呂佳代さんはキャプテンを務めましたが、スタッフからの扱いも厳しく、「衣装の露出が高いから細い子中心」という理由でキャプテンにもかかわらず選抜メンバーから外されることも多く、満足に仕事も得られずモチベーションが大きく下がりました。
野呂佳代さんにとっては事実上の降格や押し出しであり、本人も当時の心境を「すごく病んだ」と語っています。
つまり、野呂佳代さんのAKB48卒業は自らの選択ではなく、グループ側の方針や環境の変化により移籍を余儀なくされた側面が強いです。
AKBはいつまで?卒業年齢は?
野呂佳代さんは1983年10月28日生まれで、2010年2月21日に26歳でAKB48を卒業しました。
AKB48活動中の2009年8月23日に「AKB104選抜メンバー組閣祭り」でSDN48への移籍が発表され、2010年2月21日にAKB48チームKの公演千秋楽をもってAKB48を卒業し、同日にSDN48へ完全移籍しました。
AKB48での活動と並行してスタートした兼任期間を経ての完全移籍でした。
そもそもSDN48って何?
SDN48(エスディーエヌ フォーティーエイト)とは、2009年から2012年まで活動していた女性アイドルグループです。
秋元康さんが総合プロデュースを手掛け、AKB48グループのひとつとして誕生しました。
グループ名の「SDN」は、AKB48劇場での土曜日の夜(SaturDay Night)に公演を行うことに由来しています。
SDN48は20歳以上の女性や、AKB48で結果を残せなかったメンバーを集めた「後がない」崖っぷちのグループで、「大人向け」の公演を主に行っていたことが挙げられます。
18歳未満は劇場に入れないという制限もあり、よりセクシーで成熟したイメージを打ち出していました。
SDN48も卒業
2011年10月15日にAKB48劇場で行われた劇場公演中に、当時キャプテンを務めていた野呂佳代さんがメンバー全員の卒業を公式に発表しました。
野呂佳代さんはファンへの感謝の気持ちを伝えつつ、「SDN48はそれぞれが自分の進むべき道を目指すために、全員揃って卒業する」という決断を説明しました。
卒業はあくまでも「解散」ではなく「全員卒業」という形で表現されていましたが、実質的には解散と同じ意味合いを持っていました。
最終的に2012年3月31日にNHKホールでさよならコンサート「NEXT ENCORE」を開催し、現メンバー39名全員が卒業。
これによりSDN48としての活動は終了しました。
野呂佳代のSDN48卒業後と現在
SDN48のキャプテンを務めた野呂佳代さんは、卒業後に現在の明るいイメージとは裏腹に厳しい「暗黒時代」を経験しました。
AKB48やSDN48の華やかな舞台から一転、テレビ出演の激減や仕事の減少で精神的にも大きな苦労を味わいます。
そんな野呂佳代さんの暗黒時代について詳しく振り返ってみたいと思います。
幻滅と孤独が生んだ「暗黒時代」
野呂佳代さんはSDN48卒業後、後ろ盾がなくなり仕事に恵まれない苦しい時期を過ごしました。
アイドル時代に比べて出演の機会が減り、ダイエット企画やパチンコ営業といった、自分が望んでいた活動とは異なる仕事をこなす日々が続きました。
数多くのテレビのダイエット企画に出演しましたが、どれも結果が思わしくなく、途中で企画から外されてしまうこともありました。
過度なダイエットに挑戦しても劇的な変化は見られず、最終的には「このままの自分でいい」と受け入れる心境に達しました。
AKBグループの看板がなくなっても、なんとか芸能界にしがみつきたいと受けた仕事は、俳優の仕事とかけはなれたダイエット企画。1か月で4㎏痩せるも、スタッフからはマイナス10㎏を求められ、さらに「もうちょっと痩せたらデートしてもいいのにな」といった失礼な言葉をかけられ、限界を感じた野呂は、その場を立ち去ったという。
引用:entax
また、パチンコ番組やパチンコ店での営業が多かったことが知られています。
野呂佳代さんはパチンコ自体があまり好きではなかったものの、仕事が減った状況で仕方なく取り組んでいました。
1日に5軒のパチンコ店を回って、打っているお客さんの背中を「ちょん」と叩きながら励ましたり、台を紹介したりするなどの営業活動をしていました。
そして野呂が“腐り度マックス”だったという仕事が、アイドル時代にはなかったパチンコ営業。パチンコ屋を1日5軒まわり台を紹介。パチンコ屋やお客さんには申し訳ない気持ちになるが、どうしてもやる気を出せなかった野呂。「やりたいこととは全然違うな、みたいな感じで。ここからどんな未来があるのかが見えなかったです、まったく」と当時を振り返った。
引用:entax
苦悩を乗り越えた自己再生の道
野呂佳代さんは、パチンコ関連の仕事で食いつないでいることを同じ事務所の先輩・有吉弘行さんに愚痴ると、
「だったらそのパチンコ番組を全力でやれよ、バーカ!」
と厳しく言い渡され、その言葉が野呂佳代さんにとっての転機となりました。
有吉さんなりの、愛のある叱咤激励だったのでしょう。
そのアドバイスをきっかけに自分のスタイルを認め、バラエティ番組などで独自のキャラクターを開花させることに成功します。
全力で臨むことの大切さを再認識し、その後の仕事につながるきっかけとなったエピソードです。
野呂佳代の現在の活躍
野呂佳代さんは現在、女優、タレント、モデルとして幅広く活躍しています。
数々の話題作に出演し、クセのある役柄で存在感を示しています。
また、バラエティ番組「有吉の夏休み2025 密着77時間 in Hawaii」などにも出演し、その明るいキャラクターが注目されています。
野呂佳代さんの出演したドラマやバラエティー番組の一部をまとめてみました。
【ドラマ出演(一部)】
怪物(映画、2023年)
しあわせな結婚(2025年)
なんで私が神説教(2025年)
ホットスポット(2025年)
ザ・トラベルナース
クラスメイトの女子、全員好きでした
初恋DOGs
アンメット ある脳外科医の日記(2024年)
大河ドラマ 光る君へ(2024年)
きみはペット(2016年)
運命から始まる恋(2020年)
ナイト・ドクター(2021年)
司法教官・穂高美子 第4作(2015年)
伝染歌(映画、2007年)
【バラエティ番組(一部)】
ダウンタウンDX
ロンドンハーツ
野性爆弾のザ・ワールド チャネリング
有吉弘行のダウンタウンなう
マツコ&有吉 かりそめ天国
これらは野呂佳代さんの多彩な活動のほんの一部ですが、女優としての実力派としてドラマ出演を重ねる一方、バラエティ番組では個性的なキャラクターで支持を集めています。
野呂佳代はなぜ人気?
野呂佳代さんの人気の理由は、多方面にわたる才能と人間性の魅力にあります。
まず、女優としてリアルで自然体な演技が高く評価されており、ドラマ「ナイト・ドクター」や「ホットスポット」などで、視聴者に共感されるどこにでもいそうな普通の女性を演じて親近感を持たれています。
演技力の高さが「野呂佳代が出るドラマはハズレなし」と言われる所以です。
「野呂佳代の出ているドラマはリアリティがあり、親近感が持てる」という印象がジワジワと浸透したのでしょう。さらに「野呂佳代と主演俳優の共演シーンでは主人公の魅力が引き立つ」「野呂がいるとアクセントとなるコメディパートが作りやすい」などのメリットもあり、制作サイドを助ける存在となっています。
引用:NEWSポストセブン
一方で、バラエティ番組では抜群の場を読む力と、体を張った笑いで観客やスタッフからも厚い信頼を得ています。
自身の体型やキャラクターを前向きに発信する姿勢も、多くの人に勇気を与え、親しみやすさと応援したくなる人柄が支持されています。
そして、遅咲きのアイドル出身でありながら、真摯に役柄に向き合う真面目さと、現場を楽しもうとする明るさを持つ、制作サイドからも愛される存在です。
野呂佳代のAKB時代
今ではテレビで見ない日はないほど大活躍の野呂佳代さんですが、AKB48時代のことをあまり知らない人も多いのではないでしょうか。
ここからは、野呂佳代さんがAKB48に入った年齢やAKB時代について詳しくお伝えしていきたいと思います。
野呂佳代がAKBに入った年齢
野呂佳代さんがAKB48に入った年齢は22歳の時でした。
野呂佳代さんがAKB48に入ろうと思った理由は、幼少期から俳優になることを志していて、芸能界入りの一歩としてAKB48のオーディションを「最後のチャンス」として考えていたからだそうです。
22歳という年齢はアイドルとしては遅い方でしたが、それでも夢に向かって挑戦したい気持ちが強かったといいます。
当時、AKB48の2期生オーディション募集の年齢制限が13歳〜22歳だったため、ラストチャンスとして年齢を2歳ほどサバ読みし、写真も実際の見た目より痩せて見えるように加工し、足のサイズもごまかしてオーディションに臨みました。
詐称だらけの履歴書でしたが、その「必死さ」や独特の魅力が評価され、1万2000人を超える応募者の中から選ばれたのです。
秋元康さんは、選考時にスタッフから「年齢詐称」や「足のサイズの偽り」などの報告を受けましたが、最終的に「こういうキャラクターは面白い」と評価して合格を決めたと伝えられています。
「会いたかった」で前田敦子を押しのけて・・・
AKB48のメジャー1stシングル「会いたかった」で選抜メンバーに選ばれた当時、野呂佳代さんは22歳362日と最年長での選抜入りとなりました。
野呂佳代さんは最年長として目立つ存在であり、秋元康さんをはじめ運営側から「これから成長していく姿が面白い」と評価されたのが選抜入りの大きな理由でした。
しかし、デビュー曲「会いたかった」で張り切り過ぎた野呂佳代さんは、前田敦子さんなど主要メンバーを押しのけてカメラにアピールしてしまい、総スカンをくらってしまったのだとか。
次のシングルは野呂佳代さんの知らない間に進行し、選抜メンバーからも外されてしまったそう。
野呂佳代はAKB何期生?同期は?
野呂佳代さんはAKB48の第2期生で、同期は2006年に加入したメンバー16名です。
特に有名な同期には大島優子さん、秋元才加さん、梅田彩佳さん、宮澤佐江さん、河西智美さん、小林香菜さん、松原夏海さん、増田有華さん、佐藤夏希さん、小野恵令奈さん、大堀恵さんなどがいます。
野呂佳代さんは同期の中で最年長でありながら、その親しみやすい性格と人生経験の豊かさから多くのメンバーと良好な関係を築いていました。
大島優子さんとは特に深い友情があり、今でも交流があるようです。
また、佐藤夏希さんとは漫才コンビ「なちのん」を結成するなど、同期との絆が強かったことがうかがえます。
野呂佳代のAKBでの順位は?
野呂佳代さんはAKB48総選挙においては上位にランクインしたことはなく、ほとんどが圏外でした。
総選挙の順位では目立った数字を残していませんが、グループ内では「いじられお姉さんキャラ」として独特の存在感を放っていました。
まとめ
野呂佳代さんがAKB48を卒業した理由は、2009年にグループからSDN48へ完全移籍する形を取ったためです。
その後仕事の減少や自身の将来への不安と向き合いながらも、多くの苦労を乗り越えてきました。
パチンコ営業やダイエット企画などの経験を経て、タレント・女優としての新たな一歩を踏み出し、現在ではドラマやバラエティ番組で幅広く活躍しています。
今回野呂佳代さんの事を調べて、こんなに苦労してきた方だとは知らなかったので、ますます応援したくなりました。
これからも野呂佳代さんの多彩な才能と個性が輝き続けることを期待しています。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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