センチメンタルバスの解散理由は不仲?NATSUとアキノリの現在は?

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1999年にポカリスエットのCMソングに起用された「Sunny Day Sunday」が大ヒットし、一躍有名になったセンチメンタルバス

ボーカル・NATSUのトレードマークだったアフロヘアも注目を集めました。

しかし2000年12月に解散することが公式に発表されました

その背景にはどのような理由があったのでしょうか?

そこで今回は、

1・センチメンタルバスの解散理由3選
2・センチメンタルバスのメンバーの現在
3・センチメンタルバスの曲

についてお伝えしていきたいと思います。

センチメンタルバスの解散理由3選

センチメンタルバスは1998年のデビューからわずか約2年で解散を迎えました。

ここからは、センチメンタルバスの解散理由3つについてお伝えしていきます。

理由1・メンバー間の不仲とズレ

センチメンタルバスはボーカルのNATSU(赤羽奈津代)とキーボードのアキノリ(鈴木秋則)の2人組でしたが、2人の仲があまり良くなかったことが大きな解散理由だと言われています。

センチメンタル・バス
2000年12月31日解散。 二人の仲があまり良くなく、互いに迷惑を掛け合っていてズレが生じってしまったことから解散にいたったという。

引用:Yahoo!知恵袋

お互いに迷惑をかけ合い、そのズレが積み重なって人間関係に亀裂が生じてしまいました。

この不仲は音楽活動にも影響し、関係修復が困難な状態に陥ったとされています。

理由2・音楽的方向性の違い

2人はそれぞれ音楽に対する考え方やスタイルに違いがあったと言われています

これが積もって活動のすれ違いや意見の対立を生み、バンドを続ける上での障壁となりました。

音楽的なビジョンの不一致は創作活動に影響を与え、長期的な協力関係の維持が難しくなりました。

理由3・短期間での激しい活動による精神的疲労

デビューから解散までの活動期間は約2年と短期間ながら、ライブやメディア出演など非常に密度の濃い活動を行っていました。

この集中したスケジュールにより、メンバーは精神的な疲労やプレッシャーを感じていたとされ、これも解散に至る要因の一つとなったと思われます。

センチメンタルバスのメンバーの現在

センチメンタルバスのメンバーは”NATSU”こと赤羽奈津代さんと、”アキノリ”こと鈴木秋則さんの2人でした。

現在2人はどうされているのでしょうか?

ここからはセンチメンタルバスのメンバー2人の現在について探ってみたいと思います。

ボーカル・NATSU(赤羽奈津代)の現在

NATSU(赤羽奈津代)さんは、1974年10月3日生まれ(2025年現在51歳)、神奈川県横浜市出身のシンガーソングライターで、センチメンタルバスのボーカル・ギター・作詞を担当していました。

特徴的なアフロヘアはユニットのトレードマークの一つとなっており、親しみやすい歌声と共感性のある詞世界で多くのファンを魅了しました。

センチメンタルバス解散後は、Dragon AshのHIROKIさんが率いるロックバンド「Dt.」や、「雨夏」名義での作詞提供など多彩な音楽活動にも携わってきました

2013年にはヒップホップグループ・餓鬼レンジャーのポチョムキンと結婚し、都内で保育士としても勤務しながら家庭生活を送っています

SHIROTAN
SHIROTAN

現在は保育士さんなんだね。意外な転身!

2020年代に入ってからは音楽界の第一線から距離を置きつつも、ときおり作詞やコラボなどで関わる柔軟なスタイルで活動しているようです。

キーボード・アキノリ(鈴木秋則)の現在

鈴木秋則(アキノリ)さんは、1974年7月2日生まれ(2025年現在51歳)、神奈川県平塚市出身のキーボーディスト・作曲家・音楽プロデューサーです。

現在の写真はこちら

エピックレコードからCDデビューしたセンチメンタルバスのキーボード・作曲担当として知られ、「ひらつかレコード」の旗揚げ者でもあります。

高校時代から自宅録音やプログラミングに親しみ、専門学校卒業後はキーボーディスト、マニピュレーター、ライブサポート業を兼任し、バンド「タオルズ」を発展的解消してセンチメンタルバスに参画しました。

独特なパフォーマンスや大太鼓、エキセントリックなキャラクターで注目を集めました。

センチメンタルバス解散後は、スタジオミュージシャンとして幅広い作品に関わりつつ、作曲家・編曲家・音楽講師としても活動

自主レーベル「ひらつかレコード」では音楽制作やプロデュース、サポート業・バンド加入(SPOOZYSなど)を通じて多彩な音楽活動を続けています

音楽にまつわる事なら○○以外何でもやる業」をモットーに、現在も平塚を拠点に音楽業界で活躍中です。

センチメンタルバスの曲

ここからは、1997年に結成され1998年にデビューしたセンチメンタルバスの曲について詳しくお伝えしていきたいと思います。

「よわむしのぬけがら」でメジャーデビュー

よわむしのぬけがら」はセンチメンタルバスが1998年9月19日にリリースした1枚目のシングルですが、オリコンチャート圏外でした。

この曲は主人公が「壊れたばかりの弱った私にさわらないで」「すけてる今の姿 まだ君には見せたくない」と語るところから始まり、繊細な心情や弱さからの再生をテーマにしています。

歌詞では「言葉はまだやめて よわむしな声がためらう」「君の笑顔を守りたいだけで たぶん私強くなる」など、自分の弱さを受け入れつつも、大切な相手のために少しずつ強くなろうとする気持ちが表現されています。

一歩ずつ前に進みたい人、誰かのために「よわむしを脱ぎ捨てて」変わりたい人にそっとエールを送る楽曲です。

「39度の」で始まるSunny Day Sundayの歌詞に込められた思い

Sunny Day Sunday」は1999年にリリースされたセンチメンタルバス最大のヒット曲であり、平成を代表する夏の応援歌として知られています。

この曲は、大塚製薬「ポカリスエット」CMソングに起用され、1999年夏シーズンに一躍注目を集めました。

アップテンポなメロディと爽快なロックサウンドが、真夏の野球応援という情景にピッタリと合っています。

歌詞に登場する「39度のとろけそうな日」というフレーズは当時非現実的な暑さの象徴でしたが、後に本当に猛暑が続くようになり、時代を先取りした表現として再評価されています。

SHIROTAN
SHIROTAN

39度って、今じゃ全然誇張表現じゃなくなったよね。

歌詞は、炎天下の中で野球観戦をしつつ互いを見つめるカップルの日常を描いています。

君の笑顔はいつの日も小麦色した球児みたい」「ゲームの行方よりずっと君が気になる」といったフレーズには、恋人への素朴な愛情と瑞々しい青春の空気が漂います。

実際には恋愛ソングですが、リズム感と情景描写の巧みさから、高校野球の応援歌として全国多くの学校や吹奏楽部に定番曲として広まりました

「マニアック問題」の日常へのユーモラスな視点

マニアック問題」はセンチメンタルバスが2000年に発表した楽曲で、赤羽奈津代さんの作詞と鈴木秋則さんの作曲によるユニークな一曲です。

この曲の歌詞は「誰かみたいな髪型」「古いジーンズ」「パソコンに戦車」「プラモデル、地下室に潜り込んで」など、マニアックな趣味やこだわりを持つ男性の特徴をコミカルかつ生き生きと描写しています。

恋人や身近な人が自分だけの世界に没頭し、仲間に入れてくれない寂しさや怒り、ユーモラスなツッコミが込められており、日常の“あるある”感が強く感じられるのが特徴です。

ドアを叩いて話しかけてる、この声届かないショック」「夢の残骸を片付けるのは私」「スキとキライがぐるぐるしてる」といったフレーズに、相手に振り回される主人公の複雑な気持ちが込められており、ただの皮肉ではない思春期的な切なさや孤独感も隠れています。

メロディはポップながらパンクやビートロックの香りも感じられ、センチメンタルバスの幅広い音楽性を象徴しています。

「Sunny Day Sunday」のヒットほどではないものの、「マニアック問題」はチャート47位と隠れた名曲としてコアなファンに支持されてきました

歌声とメロディが相乗し、痛快なのにどこか切なく、誰もが共感できる“マニアックな人間模様”を鮮やかに切り取った一曲です。

まとめ

センチメンタルバスは、短い活動期間の中で鮮烈な曲と個性を残しつつ、メンバー間のズレや音楽的方向性の違いから惜しまれつつも解散しました。

現在、NATSUさんは保育士と家庭を両立しながら穏やかに過ごし、アキノリさんは音楽プロデューサーとして幅広く活躍しています。

ステージを離れても自分らしい道を歩み続けるセンチメンタルバスの2人を応援していきたいですね。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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