人類史上最速のスプリンターであり、8つのオリンピック金メダルと複数の世界記録保持者として知られる、世界的な陸上競技のレジェンドのウサイン・ボルト。
2017年夏の世界陸上で引退レースを迎え、競技人生に幕を閉じました。
その背景にはどのような理由があったのでしょうか?
そこで今回は
1・ウサインボルトの引退理由3選
2・ウサインボルトの現在は?
3・ウサインボルトより速い人は?
4・ウサインボルトのプロフィール
について調べてみたいと思います。
ウサインボルトの引退理由3選
ここからは、ウサインボルトの引退理由3つについて調べてみました。
理由1・目標達成による満足感
ウサイン・ボルトは、自身の陸上競技人生において掲げた目標をすべて達成したことで、非常に強い満足感を抱いていました。
ウサイン・ボルトの目標は単なる勝利ではなく、「伝説になること」であり、それを実現するために驚異的な努力を続けてきました。
世界記録の樹立やオリンピックでの複数連覇など、前人未到の記録を打ち立てたことは、彼にとって大きな達成感をもたらしたのです。
プレッシャーや期待という重圧もありましたが、ウサイン・ボルトはそれに屈せず、常に自分自身のために走るという強い意志を持ち続けました。
そして、競技の世界で「やりきった」という感覚が芽生え、新たな挑戦やモチベーションを見つけることが難しくなったことが引退を決意した大きな要因となりました。
理由2・怪我や加齢の影響
ウサイン・ボルトは競技生活の終盤で体の衰えを強く実感していました。
2016年のリオデジャネイロオリンピックの200メートル決勝を3連覇で制した後、翌年の2017年世界陸上男子400メートルリレーのレース中に左太もも裏を痙攣(筋肉のけいれん)し、途中棄権するという悲劇的な結末を迎えました。
この怪我はウサイン・ボルトの体力的限界の象徴でもあり、彼自身も「直線に入っても体が反応しなかった」と衰えを感じていたことを明かしています。
31歳という年齢は短距離陸上選手としてはまだ若いものの、競技特有の激しい負荷を考えると体力的にピークを越えつつあった時期でした。
徐々に筋力や反応速度が落ち、かつての爆発的なスピードを見せることが難しくなったため、パフォーマンスの面で限界を感じ引退を決断しました。
理由3・新しい人生への希望
ウサイン・ボルトは引退理由として「自由を手に入れるのが楽しみ」とも述べ、家族と過ごす時間やパーティー・ビジネス分野など、スポーツ以外の人生を充実させたいという前向きな気持ちを持っています。
「人生の全てだった」という陸上には今後も指導や啓発、普及活動で関わる考え。
「自由の身になるのは楽しみ。パーティーに出掛け、家族との時間を過ごす」と柔らかな表情を浮かべた。
引用:日経新聞
いつ引退した?
ウサイン・ボルトは2015年2月に、2017年の世界陸上ロンドン大会を最後に現役引退する意向を公式に発表しました。
当初は2016年リオデジャネイロ五輪後の引退を示唆していましたが、スポンサーやコーチとの協議の結果、2017年まで現役を続け、最後は100mに集中する計画でした。
その後、2017年夏の世界陸上で引退レースを迎え、競技人生に幕を閉じました。
ウサインボルトの現在は?
ここからは、ウサイン・ボルトの引退後の活動や現在について調べてみました。
飲食チェーンを経営
ウサイン・ボルトは2017年8月に世界陸上ロンドン大会で競技人生のラストランを迎えた後、引退直後は自身が経営する飲食チェーン「トラックス&レコーズ」の事業拡大に取り組み始めました。
サッカー界に挑戦
ウサイン・ボルトは子供のころからマンチェスター・ユナイテッドのファンであり、サッカー選手になることは長年の夢でした。
そのため、陸上引退後、複数のサッカークラブ(ドイツのドルトムント、ノルウェーのストロムスゴットセト、南アフリカのサンダウンズ他)で練習参加しました。
2018年にはオーストラリアAリーグの「セントラル・コースト・マリナーズ」に練習生として加入し、プレシーズンマッチで2得点を記録したことも話題になりました。
サッカー転身は世界的な注目を浴びましたが、トップレベルでは十分な技術を証明できず、契約・実力面で課題があり、最終的にサッカー界からも引退しています。
少年時代からマンチェスター・ユナイテッドをサポートしていたボルトは、「いつも試合を観ていたわけだが、一部のある選手たち──それが誰だかは言わないよ──にできるなら、自分もできるはずだ」と思ってプロを目指したようだが、実際は困難だったと痛感したのではないか。
結局、2019年1月にフットボーラーになる夢を諦めたと公表した。
引用:Number Web
現在は何してる?
ウサイン・ボルトは2025年現在、陸上競技イベントのゲストやプロモーション活動を中心に、レジェンドとして活躍しています。
現在の主な活動
・世界陸上や東京国立競技場のイベントに特別ゲストとして参加
・世界陸連から「アルティメット・レジェンド」に認定され、プロモーション活動やトークイベント出演
・スポーツブランド「PUMA」のアンバサダーとして、各種スポーツイベントやトークショーへ出席
・若手・ジュニア世代のアスリートへの激励や応援メッセージ発信
現役引退後も、競技・スポーツ界で発信力を持ち、世界陸上プロモーション・ブランドイベント・後進育成に積極的にかかわっています。
子供はいる?
ウサイン・ボルトは2025年現在、結婚はしていませんが、長年交際しているパートナーのカシー・ベネットさんと事実婚状態にあります。
カシー・ベネットさんはモデルやインスタグラマーであり、法学士号を持つ実業家でもあります。
ウサイン・ボルトとカシー・ベネットさんの間には3人の子どもがおり、2020年に長女オリンピア・ライトニング・ボルト、2021年に双子の男の子、セイント・レオ・ボルトとサンダー・ボルトが誕生しています。
ウサイン・ボルトは家族との時間を大切にしており、子どもたちの成長をSNSなどで共有する良き父親としての一面も見せています。
ウサインボルトより速い人は?
2025年現在、ウサイン・ボルトより速い公式記録を持つ選手はいません。
ウサイン・ボルトは男子100mの現世界記録保持者で、2009年にベルリン世界選手権で樹立した9秒58が公式記録として現在も破られていません。
歴代最速のスプリンターとして人類史上最高の速さを誇っています。
50mだったら何秒?
ウサイン・ボルトの50mの通過タイムは、100mの世界記録を出した際の計測で約5秒47です。
手動計測に換算すると約5秒23ほどという非常に速い記録になります。
競技のタイムを計測する方法は大きく2つあり、「手動計測」(ストップウォッチで人の手による計測)と「電動計時」(電子機器による自動計測)があります。
手動計測は、人の反応速度に依存しており、号砲の音を聞いてからストップウォッチを押すまでや、選手がゴールラインを通過した瞬間に計時を止めるまでに遅れや誤差が生じます。
このため、手動計測のタイムは一般的に電動計時のタイムより0.24〜0.27秒ほど速く(短く)出る傾向があります。
逆に、電動計時のタイムを手動計測に近い形に「換算」する場合は、公式タイムから概ね0.24秒くらい差し引いて「手動計測だったらこのくらいの速さだった」というイメージを出すこともあります。
なお、50m走は公式の競技種目ではなく、あくまで100m走の途中通過タイムとしての計測です。
この記録も50m走の非公式世界記録とされるカナダのドノバン・ベイリーの5秒56を上回るタイムとなっています。
つまり、50m走単独の公式記録ではありませんが、ウサイン・ボルトの短距離加速力・爆発的なスピードの速さを示す参考値として非常に注目されています。
男子100メートルの記録保持者ベスト5
男子100メートルの記録保持者ベスト5について詳しく見ていきます。
- ウサイン・ボルト(ジャマイカ)
世界記録保持者で、2009年ベルリン世界選手権で記録した9秒58が公式世界最高記録です。
ボルトは圧倒的なストライドの長さと爆発的な加速力で、小柄なライバルを圧倒し、男子短距離の歴史を変えました。 - タイソン・ゲイ(アメリカ)
ボルトの記録に最も近い9秒69(2009年)を持ち、長年世界トップクラスで競技してきました。
スピードとテクニックのバランスが優れた選手です。 - ヨハン・ブレイク(ジャマイカ)
ボルトの故郷ジャマイカの後輩で、同じく9秒69(2012年ロンドン五輪)を記録。
ボルトの影に隠れがちですが、非常に速いスプリンターです。 - アサファ・パウエル(ジャマイカ)
2008年に9秒72を記録した、ボルト以前の短距離世界記録保持者。
鋭いスタートダッシュが持ち味で、ジャマイカ短距離黄金時代の中心選手でした。 - ジャスティン・ガトリン(アメリカ)
2005年以降の男子短距離界を代表する選手で、2015年に9秒74をマークしました。
ボルトと争ったライバルの一人であり、しばしば再起を見せる実力者です。
これら5人の選手は、21世紀の男子短距離競技を象徴する存在であり、高いスピードで歴代のトップ記録を塗り替えてきました。
ウサイン・ボルトは一線を画す9秒58という圧倒的な記録を持つものの、他の4人も9秒台前半~後半の非常に速いタイムで競技をリードしています。
ウサインボルトのプロフィール
ここからは、ウサインボルトのプロフィールについて詳しく調べてみました。
年齢や身長は?
ウサイン・ボルトは2025年現在39歳で、身長は196㎝です。
ウサイン・セント・レオ・ボルトは1986年8月21日生まれのジャマイカ出身の元陸上競技短距離選手で、身長は196cm、体重は94kgという恵まれた体格を持ち、非常に大きなストライド(275cm)を活かして世界最速のスプリンターとして活躍しました。
愛称は「ライトニング・ボルト」で、天に向かって弓矢を射るようなポーズも有名です。
ウサイン・ボルトは高身長のためスタートは遅めでしたが、中盤からの加速と大きなストライドで他の選手を圧倒する後半追い込み型の走法で知られています。
2002年から2017年まで現役として競技し、100m(9秒58)、200m(19秒19)、4×100mリレーの世界記録を保持。
オリンピックでは2008年北京、2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロの3大会連続で100m・200m・4×100mリレーの3冠を達成し、通算8つの金メダルを獲得しています(北京でのリレー金メダル1個は剥奪されています)。
ウサインボルトの病気とは?
ウサイン・ボルトは脊柱側湾症を抱えています。
脊柱側湾症とは、通常まっすぐであるべき背骨(脊柱)が左右にS字状に湾曲してしまう症状で、ボルトの場合は先天的(生まれつき)にこの病気を抱えていました。
17歳の時に診断されており、背骨の湾曲が原因で体のバランスが崩れ、右肩の位置が極端に低くなる独特のランニングフォームとなっていました。
ウサイン・ボルトは手術は受けず、整体やマッサージ、筋肉強化による体幹トレーニングで体のバランスを整えながら競技を続け、世界最速の記録を打ち立てました。
この障害を抱えつつも世界最速の記録を作り上げたことは驚異的であり、多くの人に勇気と希望を与えています。
まとめ
掲げた目標をすべて達成し、やりきった満足感をもって引退したウサイン・ボルト。
引退後は飲食ビジネスやチャリティ、サッカー挑戦など新たな道に挑み、現在は実業家やスポーツアンバサダーとして活躍しています。
ウサイン・ボルトの挑戦はとどまることなく続いています。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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